究極の問い(後編)


少し話を変えますが、昔、シュレディンガーという物理学者が居ました。本サイトにも何度か登場していますね。
彼は量子力学の研究者で、現在でも最もよく使われている“シュレディンガー方程式”を発見(構築)した人物です。
その功績によりノーベル物理学賞も受賞していて、彼は間違いなく量子力学の生みの親の一人と呼べる人物です。
しかしながらその天才物理学者であるシュレディンガーは「私は量子力学がきらいなのです。自分が物理学に携わったことを本当に後悔しています」と言い残し、物理学者を引退して生物学の世界に行ってしまいました。

私は、量子力学を通じて彼がきっと“あること”に気づいたのだと思います。
恐らくそれで気持ちが悪くなって物理学をやめてしまったのでしょう。

それとは別に現代から遡ること2500年ほど昔、現在のインドとネパールの国境付近で一人の王子が真理を知るために何もかもを捨てて出家し、何度も死にかけるほどの荒行を積むも、どうしても真理に気づくことが出来ませんでした。そこで彼は手法を変え、座禅と瞑想のみによって“あること”に気づいたとされています。
そして彼が気づいたこともまた、シュレディンガーと同じものだったのだろうと私は考えています。
彼が気づいた内容は後に“悟り”と呼ばれることになりました。言うまでもなく彼の名はゴーダマ・シッダールタ。
後に“釈迦(しゃか)”と呼ばれる人です。

比較的最近のケースでは後に量子コンピューターを発明するドイチュら教え子に大きな影響をあたえたとされる物理学者、ジョン・ホイーラー。
彼曰く、「私は最初、全ての物は粒子であると思い、次に全ては場であると思い、今は全ては情報であると思っている」
だそうです。
粒子は良いですね? “場”というのは“場の理論”に象徴される現代の物理学の考え方です。そして最後に至った結論は”全ては情報である”と。
この言説から、私はホイーラーも恐らく上記の二人と同じ“あること”に気づいたのだと思っています。

次は少し思考のステップアップをしますが、今から2000年以上前にこの様なことを言った人が居たそうです。
「汝の敵を愛し、迫害する者の為に祈れ」
これがキリストの言葉であることは有名ですね。

実はこれについてはあまり確信がないのですが、この言葉はキリストもまた同じ“あること”に気づいたいたのではないかと私に思わせました。
もしそうだとしたらこの言葉は真理の更に先にあるものなので、かなり高度なレベルの話になることでしょう。
何のことやらさっぱりだから少しだけヒントが欲しいって?
では一つだけ。武道では試合相手に必ず礼をしますね。きっとそれと同じ意味でしょう。

そして一番最近の有名な人物で同様のことに気づいたと言っているのは、あのイーロン・マスクでしょうか。


さて、私が一体何が言いたいのかというと、その彼らが気づいたと思われる“あること”こそが、おそらく私が“この世界と宇宙の真理”だと考える答えと同じ物だと思うのです。

その“あること”に気づいたであろうシュレディンガーは気持ちが悪くなって物理学をやめたそうですが、私も気持ちが悪くなるどころか本気で体調を崩しました。それこそガチで医師に止められるほどにです。

因みに釈迦は、悟りを開く事によりあらゆる苦から逃れられ、最高に幸せな気分になったとされていますね。少なくとも気持ちが悪くなったような話は伝わっていません。
むしろ悟った際には「苦労して至ったこんなに最高なものを他人になど教えたくない」と考え、しばらく一人で悦に浸っていたとされています。

しかしながら同時に釈迦は、悟ってすぐに入滅しようと考えたとも伝わっています。
“入滅”とは死ぬことであり、つまり釈迦は悟ってすぐに自殺しようと考えたことになりますね。
でも最高に幸せな気分になったのに、すぐに自殺しようなどと考えるものでしょうか?

あまり書くと仏教筋の人に怒られそうですが、私個人的には釈迦も“あること”に気づき、大いに気持ちが悪くなったのではないかと考えています。よって自殺しようなどと考えたのだと。
更に釈迦は当初「悟りの内容はあまりに難解であるため、他人に教えることなど不可能だ」と言ったとされていますが、この言葉からも私は上記の説に確信を持ちました。
でもまあ2500年も昔のことだし、今更何が本当なのかを知ることは不可能なので、私の考察は話半分で聞いて下さいね。


とまあ、若き日の私だけでなく、過去の偉人たちも衝撃を受けて気持ち悪くなったほどの真理の内容。こんな物を公表したら世界がおかしくなるのではないかと本気で私が思ったその内容。

それが昨今のYouTubeにポンポン上がっているのですから、私にとってはそっちの方がよほど驚きなのですよ。
とは言うものの、これらのネット上の内容は仮に結論は同じだとしてもそこに至るまでの根拠に乏しく、証拠だと言っている物も科学のルールに則れば全く証拠にはなっていない物ばかりです。
これについてはイーロン・マスクにしても同様でした。

なので私は出来るだけ科学のルールと手順に則り、完全証明には至らなくてもそれに近い事が出来るのではないかと考えたわけです。
(因みに初期の方に書いた”協力者を募る”というのは、主にそれを手伝ってくれる人のことです)

そして先述の4つの問いの他にも例えば、

この宇宙は完全に偶然に誕生したのか、或いは何らかの意図が働いているのか? つまり作者が居るのか?
なぜ人間が存在するのか、なぜ自分が存在するのか?
自分は何をするべきなのか? 人生はどうしてこうも辛いのか? 人は死んだらどうなるのか?

こんな事は誰でも一度は考えたことがあるのではないでしょうか?
皆さんご存じの通りこれらの問いに答えることは従来、宗教の役目でした。
ですがもし、これらの問いに科学が答えることが出来たなら、宗教の上位互換となる信仰になり得るでしょう。

私が至った真理だと思う仮説は、少なくともこれらの問いには全て答えることが出来ます。
しかもとてもシンプルな、たった一つの説明で、です。

正直に言うと今の私は真理そのものへの興味は既に終えていて、思考はその次のステップに行っています。
つまりその真理が具体的に我々の何を変え、明日からの人々の生活や行動、価値観にどう影響を与えるかです。
この真理の持つポテンシャルは大きく、様々な問題を解決する可能性を持つと私は考えています。例えば戦争や争いの根絶などもそれに含まれるし、人々が持つ死の恐怖を取り去ることなども副次的な効果としてはあるでしょう。

ですが私にとっての主目的は、あくまで満腹パイの時代に訪れるであろう問題を解決することです。
パスカルが予言した、人間があらゆる労働から解放された時代に訪れるであろう、全人類的に起きる精神的なスランプ。
この糸口さえ見えない問題を解決する方法としてパスカルは信仰を挙げましたが、時代的な背景もありその信仰とはキリスト教でした。
しかしながらキリスト教が全人類が信じることが出来る信仰ではないことは現代では分かっていますね。むしろ今はクリスチャンは減少傾向らしいです。

そこで登場するのが全人類が信じることが出来る、科学を基礎としたメタフェイスなのです。

ではいよいよこれから、その真理の内容について詳しく述べていきましょう。


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