無神論者と有神論者の違いを定義する


一般的に無神論者とは”神は居ない”と考えている人の事ですね。
逆に有神論者は何れかの宗教に入っているという意味ではなく、”神は存在する”と考えている人の事でしょう。
その他にも不可知論者と呼ばれる人も居て、彼らは「もし仮に神がいたとしても、それを証明する事は出来ない」と考える人たちですね。
 
因みにですが、アインシュタインはユダヤ人でありながら(あらゆる)宗教を信じておらず、ユダヤ教の神も信じていないと言っています。
ならばアインシュタインは無神論者かというと、アインシュタイン自身は「自分は無神論者ではない」とも言っています。よって彼の定義するところの何らかの神を信じていたと言われています。

”宗教は信じていないけれども無神論者でもない”

これは日本以外ではなかなか理解しにくいケースかもしれませんね。
我々日本人はなにかしらの宗教を信じていなくても、漠然と神に祈ったり神社にお参りに行ったりしますよね。そしてそれに対して特に違和感を持つ事もないでしょう。
 
さて、では宗教を信じる事以外に無神論者と有神論者の違いを定義するとしたらどうなるでしょうか?
出来るだけ汎用性のある定義、例えば科学的に、もしくは論理的に定義する方法はないでしょうか?
これについて私は、以下の定義が良いと考えています。
それは、

この宇宙は完全に偶然のみによって誕生したと考えるか、或いは誕生には何らかの意図が働いていると考えるか。

です。
“この宇宙”の中には当然、地球も人間もあなたも含まれます。
 
さて、ここで私が高校時代にキリスト教に勧誘された時の話を少ししてみましょう。
因みに皆さんはキリスト教の勧誘ってどうやるか知っていますか?
いきなり「聖書を読め」だとか、「神は居る」「神を信じよ」なんて説得の仕方はしませんよ。そんなやり方では誰も信じませんからね(笑)。
もちろん方法は一つではないでしょうが私の例で言うと、高校時代にアメリカ人の敬虔なクリスチャンから以下のような説得を受けました。

「前略……。全ての物には必ず作者が居るわ(因みに女性でした)。例えばあなたの腕時計。これは偶然に出来たの? 部品だけを集めれば勝手に組み上がるのかしら? そんな事は有り得ないわよね。
 時計だけじゃない、あなたが着ている服だってこのテーブルだってこの建物だってそう。これらが偶然に出来る事なんてあるのかしら? そんなわけがないわよね。どれも必ず誰かが意志を持って作ったものだわ。実際に私たちの知る全てのものは誰かが作ったものでしょう?
 それと同じよ。だったら私たち人間を作った者だって必ず居るはずだし、地球やあなたの好きな宇宙だって必ず誰かによって作られたはずだとは思わない? それを私たちは“神”と呼んでいるの」
 
さて、この論法を読んだ皆さんはどう思いましたか?
因みに当時、高校2年生だった私はこう反論しました。
 
「僕の腕時計が偶然にはできないと言ったね? じゃあそれを例にしてみようか。確かに部品を一式集めて箱に入れて振っても自然に時計が組み上がることはないよ。だけど何百万、何億、いやそれ以上の十分にたくさんの部品を箱に入れて、今度は何億回かそれ以上の回数箱を振ったとしようか。そうすると偶然に一つぐらいは時計が組み上がっても不思議ではないと思うよ。
 わかりやすく言うとそれが科学の説明だよ。地球だって太陽だってもしもこの宇宙に一つしか無ければこんなに人間が住むのに都合良く出来ているのは不思議だと思うよ。だけどこの宇宙に星は、あ、太陽も星の中の一つなのはいいね? 星はこの銀河だけでも四千億個以上もあって、その銀河がこの宇宙には一千億個以上あると言われているんだよ。まあ銀河の数は正確にはまだ分かっていないけど、我々の住む銀河の中にある星の数は観測で大分わかっているんだ。どっちにしてもすごい数だと思わない?
 それだけの数の星があれば中には偶然に太陽のような星と地球のような惑星が有っても不自然ではないと思うよ。とにかく宇宙には偶然には起きそうもないこと、クリスチャンの言う“奇跡”を可能にするほどに多くの星が有って、この宇宙は想像を絶するほどにでかいんだ」
 
まあ、あまり可愛くない高校生だと思ったかもしれませんが(笑)、当時の私はガチでした。
因みに彼女は想定外の反論に面食らった顔をしていました。
またこれは言いませんでしたが、私は宇宙や人間の存在が偶然ではなく何らかの意図が働いている事と、キリスト教を信じる事は全く別の話であって一致しないと思いましたが、この論法でクリスチャンになった同性代の人が当時は多く居ました。
 
因みに私と彼女の議論はその後も結構長く続きましたが、議論の結末が知りたいですか?
当時の私は自分の知りたい疑問の答えを見つけてくれるのは科学、特に物理学だと考えていましたが、彼女と議論をしている内にキリスト教がどう答えるのか、どうしても聞いてみたい質問が頭に浮かびました。もしも彼女がその質問に上手に答えられていたら私は考えを改めていたかもしれません。

「全てのものには必ず作者が居なければならない」

これが彼女の話の中核であり、私から見て最も論理的に見える部分でした。そこで私は思い浮かんだ疑問を率直に尋ねてみたのです。ええ、純粋に彼女、と言うよりキリスト教ががどう答えるのかが知りたくて。
 
「もし全てのものに必ず作者が居るとしたら、その万物を作った神様を作ったのは一体誰なの?」

悪意のない率直な質問でしたが、饒舌だった彼女はこの問いに完全にフリーズしてしまいました。議論もこれにて終了です。
私はこの質問をした事を後で少し後悔しました。
 
さて、話を戻しましょう。
無神論者と有神論者の違いは何らかの宗教を信じるかどうかではなく、或いは特定の神という概念を信じるかどうかでも無く、我々人間を含めた宇宙の存在が完全に偶然のみによるものなのか、或いは何らかの意図が入っているのか、そのどちらと考えるかだと思っています。
これならば不可知論者も参加できるのではないでしょうか?
 
恐らくですが、アインシュタインは宗教や宗教的な神は信じなくとも、この宇宙の存在には何らかの意図が入っていると考えていたのではないでしょうか? 換言すれば、作者のような者が居ると。
 
さて、皆さんはどちらだと思いますか?
 
そしてタイトルである”無神論者と有神論者の違いの定義”についてですが、宗教などを絡めるのを止めて、シンプルに上記の私の定義にしてみてはいかがでしょうか?

 
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