不完全性定理は神の不在を証明したのか


“ゲーデルの不完全性定理”という数学の定理を知っている方はどれくらい居ますでしょうか?

人間の価値観に影響を与えるような重大な科学の発見というのは、往々にしてあまり知られていないものです。
まあ難易度が高くて理解するのが難しいという理由もあるでしょうが、私にはそれ以外の理由もあるように思えますかね……。

不完全性定理という1930年に発表された定理は数学界にとても大きなインパクトを与えましたし、一部の宗教にも影響を与えたとされています。
不完全性定理の具体的な内容については難解であるため省略しますが、とっても乱暴に言うとおおよそ以下のようなものです。

1, 数学が無矛盾であれば、数学は完全ではない。(これは真偽をつけられない命題が存在するという意味です)
2, 数学が無矛盾であれば、数学を使って数学が無矛盾であることを証明することはできない。(矛盾があると言っているわけではないので、そこは誤解のないように)

と、不完全性定理はこの2つからなります。

つまり数学が無矛盾だとすると、数学には正しいか間違っているかを証明できない問題が残り、また自らが無矛盾であることを証明することも出来ないということです。

ええ、まだ説明が難しいですかね?

まずはじめに、矛盾という言葉の意味は良いですね? 
仮に2つの異なる理論が有り、片方が正しいとするともう片方が間違っている様な構造になっているとします。
それらの相反する理論が両方とも正しいとするような考え方は、矛盾(ムジュン)していると言います。

例えば、

1, Aさんは日本時間の2020年5月5日の13時に東京にいた。
2, Aさんは日本時間の2020年5月5日の13時にニューヨークにいた。

もし1と2の両方とも正しいという論理が有るとすれば、それは両立不能なことを言っているので矛盾していることになりますね。
この例は犯罪捜査で“アリバイ“という立派な証拠として使われるほど当たり前とされています。

そしてとても重要なことは、ほぼ全ての人間の脳は、

矛盾しているものを“おかしい”や“間違っている”と感じる

ように出来ているのです。

有名な話ですが、”矛盾””という言葉は矛(ほこ)と盾(たて)という意味ですね。
矛は攻撃のための槍(やり)のことです。盾は槍による攻撃を防ぐ板である、盾です。

この言葉の語源は、同じ店で同じ店主が盾と矛を売っていて、盾については「この盾はどんな矛であっても貫通しない」と言い、矛については「この矛はどんな盾であっても貫通する」と言って売っていたことに由来しています。
つまり同じ店主が言う2つの説明が両立することは論理的にあり得ませんね。違う人がそれぞれについて言っているならば矛盾しませんが、同じ人が言っていたら矛盾しています。
実際にある客が、「ではその矛でその盾を突いたらどうなるのか?」と質問したら、店主は黙りこくってしまったそうです。

数学にはこの様な矛盾が無いことが前提となっていますし、多くの数学者や科学者がそう信じています。
ところがこの矛盾がないが故に、数学には証明不能な問題が存在してしまうのですよ。

それが大体どんなイメージなのかを知るために、とても簡単な例を出してみます。

“クレタ人は嘘つきだ”

これはよく用いられる例ですが、ある島にクレタ人という国民が住んで居るとしましょう。
そのクレタ人は嘘つきだと言っていますが、これは正確に言えば“嘘しか言わない”という意味です。

よって“クレタ人は嘘つきだ”と外部の人間が言えば何の論理的問題も有りませんが、もしもクレタ人自身が“クレタ人は嘘つきだ”と言ったらどうでしょう?
もしもクレタ人が嘘しか言わないとすれば、嘘つきだということが嘘になりますね。つまり嘘つきではないと。
でも嘘つきではないならば嘘は言わないはずです。

逆にクレタ人は嘘つきであることが嘘だとしましょう。するとクレタ人は本当のことを言っているはずですね。すると言った内容の“クレタ人は嘘つきだ”も本当のことになってしまいます。
よってクレタ人が言った時点でこの言葉が真であっても偽であっても、必ず矛盾するのですよ。
(ただし、クレタ人が時に嘘を言ったり時に本当のことを言ったりするランダムな(普通の?)国民なら話は別ですが。一応、数学の中はランダムな物は無いことになっています)

不完全性定理が言わんとしていることは、この例と同様の困った問題が数学の中に含まれているということです。
いえ、数学だけでは有りません。これはあらゆる論理的体系の中に含まれているのです。物理学などの科学はもちろん、哲学や法律だってそうです。よってある意味でこれは、論理の限界を示しているとも言えますね。
よってとても乱暴に言えば、この世界に完全無欠なものは無いのです。


さて話を本題に戻しますが、自分が信じる神が論理的に矛盾していると考える人は殆どいないはずです。ですが神が無矛盾だとすると、この不完全性定理により論理的な答えとして神は完全ではないのです。
つまり、神とて真偽(正しいか間違っているか)を決められない命題が存在することになります。
更に言えば、神は自分が無矛盾であることを、これも乱暴な言い方をすれば“間違っていないこと”を自分で証明することは出来ません。

多くの一神教の宗教では、神は“全知全能で完全な存在”ということになっているはずです。ですがそれは論理的にありえないということを、この不完全性定理は言っているのです。(実際に神にも解けない(証明も反証も出来ない)数学の命題が有る)
そして”全知全能で完全”である事が”神の定義”ならば、神は居ないことになります。
よってこの定理により、宗教の世界に激震が走ったと言われているようですね。

さて、この神の限界を述べた論法は正しそうに見えますが、私には一つの仮定が抜けていると思います。
それは、

“神がこの宇宙の内部に居るとすれば”

です。
数学も不完全性定理もあくまでこの宇宙の内部の法則です。そして外部については管轄外なのです。

よって仮に神が我々の宇宙の外部に存在していると仮定すると、この論法は当てはまらないことになるでしょう。
この話は結構重要なので、いずれまた詳しく書く予定です。


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