人間の価値とは結局なんなのか



世の中には数十億の人が居ますね。特徴も価値観もそれぞれです。

では、人間の価値とは一体何なのでしょうか? 価値はどこにあるのでしょう? あなたの価値は?

例えば、大金持ちの家に生まれ、父から莫大な資産を相続した息子には価値があるでしょうか?
まあ、世間一般で言えば有るでしょうね。だってお金をたくさん持っているのですから、影響力も権力もその気になれば持つことが出来ます。
価値が高いものを買うことも出来るし、他人に投資をすることも出来るでしょう。それらの行為にはきっと価値があるでしょうね。

でもその大金持ちの息子に、人としての価値があると思いますか?
もちろん、有ると考える人もいるでしょう。女性ならば、その条件だけで結婚相手にしたいと思うかもしれませんね。
ですが多くの人はこう思うでしょう。

「ただ運が良かっただけだろう」

と。

本人の才能や努力とは関係なく、たまたま金持ちの家に生まれたと言うだけですから、これは100%運ですね。

流石に100%運で決まるものに、人間の価値が有るとは考えない人の方が多いと思います。
だってそれだと人種や生まれる国、家柄で人間の価値を決めていた大昔の考え方になってしまいますからね。
まあ中には前世の行いで現世の運、不運が決まると教えている宗教もあるようですが、科学的ではないため取り敢えずここではそれは考慮しないことにします。

それでは単なる運ではなく、その人そのものの価値を決める要素とは一体何なのでしょうか? 
人格? 性格? 優しさ? それとも運動神経や頭脳などの才能?

例えば現在ならば、大谷翔平選手の価値はどこにあるのでしょうか。
努力したこと? 練習量? もちろん、それらも有るでしょう。
でも多くのプロ野球選手を目指す人たちは、大谷選手と同等以上に努力して練習しているはずです。

では大谷選手が名選手になれる理由は何でしょうか?
恵まれた身長や体格? 運動神経? 
まあ、あのレベルの選手になれる理由はむしろこちらの“才能”と呼ばれる部分でしょうね。
“才能”を少し科学的に言えば、その人の遺伝子です。

残念ながらと言った方が良いかもしれませんが、最新の研究によると人間の能力は、努力や環境などよりも、むしろ遺伝子で殆ど決まってしまうことが判ってきています。
あまりに身も蓋もない話なのであまり公には言われていませんが、特に大人になるにつれて遺伝子が占める割合が大きくなるらしいですね。IQにしても運動神経にしても遺伝子で殆ど決まるらしいです。

ならば人間の価値は結局のところ才能、つまり遺伝子に有る、ということになるでしょうか?
でもそうだとしたら、これも結局自分では一切コントロールできない運で決まってしまうものになります。
だとしたら上記の大金持ちの息子に生まれるのと一体何が違いますか?
どちらも100%運で決まるのですからねえ……。

「いいや、そんなことはない。人の性格や人格、優しさや価値観などは先天的なものではなく、後天的のものだ」と言う人もいることでしょう。そしてその考え方はおそらく間違ってはいないでしょう。

ですが前述してきたとおり、怒りや愛おしさなどの感情は人間にはコントロールできません
いくら「悲しみたくない」と強く思ったところで、大切な人が死んだら悲しむことは不可避ですよね? 
それは怒りや喜びなど他の感情も同様なのです。入力が同じならば、決められた感情が発生します。
脈拍や体温を自分でコントロールできない様に、感情を司る脳をコントロールすることは難しいのです。

そして自分の感情を司る部位も脳の仕様で決まっていて、これまた遺伝子で殆どが決まっているのですよ。
怒りっぽい人は自分が望もうと望まざると怒りっぽい感情が出やすい脳を持っていて、その脳の設計図は遺伝子に書かれているのです。

そんな事を言ったら全てが運で決まってしまい、人間にコントロール出来ることなどなく、生まれた瞬間に人の価値は決まっている。そう思うかもしれませんね。

ですがその見解は間違いです。人間には唯一、運ではなく、自分でコントロールできる、また自分しかコントロールできない物が有るのですよ。それが何だか分かりますか?

それは、

“意志”

です。

意志だけは他の臓器や脳とは分離しているのです。
その物理的根拠については、また改めて書くのでここでは省略しましょう。

例えば、死ぬほどお腹が減っていて、目の前に大好物のご馳走が有るとしましょうか。
もしもそれを食べても何の問題もないとしたら、動物ならば100%食べるでしょう。動物はその選択しかできないはずです。
ですが人間は、食べるという選択も食べないという選択も原理的にできるのですよ。

もちろん、脳からは食べたくて仕方がない感情が湧いているでしょう。その感情については、脳の仕様なのでどうしようもありません。ですが、行動としては自分の意志でそれに抗うことも人間には出来るのです。
理由はダイエット中だ、修行中だなど、何でも良いです。
とにかく食べないという選択肢を人間は持っているのです。

或いは、怒りの感情が湧いてきて、それ自体は脳の仕様なのでどうしようもないとしても、怒りの感情を表情や言動に出すかどうかは自分の意志によって決められますよね。

もう少し現実的な例ならば、人には迷う瞬間が多く有ると思います。
人生の岐路にぶち当たったり、人は進学や就職、結婚など、色々なことで迷いますよね。

そこで、

人間だけは感情とは違う選択をすることが出来る

のです。
例えば、多くの人が楽な方の道を選ぶ時に、敢えて険しい道を選ぶ人がいます。或いは、殆どの人が諦める時に諦めない選択をする人もいるのです。
そういう人のことを一般に、“意志が強い”と言いますね。

意志だけは運ではなく、誰もが同じ様に持っています。感情に逆らうことも原理的には誰でも可能です。
つまり、

“意志こそがその人そのもの”

なのですよ。

つまり、人間の価値とは究極的には“意志”、或いは“意志の強さ”に有るというのが私の考えです。
それ以外は全て“運”です。

よって私個人的には、才能や環境に恵まれた人よりも、強い意志の持ち主を尊敬します。


戻る        トップページ