この世界は1文で表せるほど単純ではない


皆さんは村上春樹さんの大ヒット長編小説、「ノルウェーの森」を知っていますか?
本作は世界中でヒットして映画化もされていますね。
まあ私よりも上の世代でヒットした作品なので、若い世代は知らない人が多いと思います。

因みに私がこの作品を読んだのは10年ほど前でした。
そしてたまたまネットで若い人が書いた「ノルウェーの森」のレビュー(書評)を見て思わず笑ってしまいました。(正確には笑い転げた)
その内容とは以下のとおりです。

「要するに肌が綺麗なメンヘラ女を好きになって、その女の裸に興奮したって話でしょ?」

とっても斬新な書評でした(笑)。
しかも的を射ていないわけでもないから、より面白かったのですよ。
これを見た時に、ニュージェネレーションが現れたのだと思いました。

始めに断っておくと、私は「ノルウェーの森」が良い作品だとは全く思いませんでした。
この小説を名作だと言っている人に一体どこが良いのかを本当に聞いてみたいと思ったほどですが、さすがに上記の書評よりは少しばかり複雑な物語です。

「ノルウェーの森」の話はこの辺にしておいて、私が何が言いたいのかを書きましょう。

上記の例の様に、最近の若い人を見ていてとても感じるのが、

物事を短い文章で理解しようとする傾向が強い

ことです。

例えば「要するにブラックでしょう?」「要するに○○ハラスメントでしょう?」「要するに振られたんでしょう?」「要するにメンヘラでしょう?」「要するに親ガチャに外れたんでしょう?」「要するに失敗したんでしょう?」etc……。

といった具合です。明らかにこの現象はツイッター(X)をはじめとするSNSによる影響だと思います。
SNSでは慣習的に短い文で表わすことが多いので、長く使っていると思考回路まで1文で理解しようとするようになっているのかも知れませんね。ですが世の中の殆どの事象は1文で表せるほど単純ではありません。もっとずっと複雑です。
「要するに、……」と言っても、実際には要せないことの方が多いのですよ。

似たような事象であっても、十人居れば十通りの事情や都合があります。つまり、1文では何も理解出来ていません。

もちろん、全ての事象についてちゃんと理解しろと言っているわけではありませんよ。
ただ理解していないのに理解したつもりになることが良くないと言っているわけです。
世の中はとても複雑であり、短文だけでは「理解出来ていないことを自覚していれば」それでOKです。

テレビやSNSをいくら見たところで、他人のことなど何も理解出来ていないのです。


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