リベットの実験と自由意志
以前に軽く紹介した「リベットの実験」について今回は考えてみようと思います。
私は脳科学者の茂木健一郎さんのYouTube動画を時々見るのですが、脳科学の世界では「自由意志は存在しない」という考えの方がメジャーなようですね。茂木健一郎さんもそう思っているように見受けました。
そしてその中の多くの人が、「全てはあらかじめ決まっていてそれを後から人間が認知しているだけ」という決定論的な世界観を持っているように感じました。
つまり私の言葉を使えば、この世界は「3D映画仮説」であり全ての物語が決まっている映画を見ているのと同じということでしょう。
正直に言うとこの脳科学会の見解は私にとっては多世界解釈と同レベルに「正気か?」と思うものであり、にわかには信じられないのですが、その根拠となっているのが「リベットの実験」とされているようですね。
リベットの実験についてはとても良く解説されているYouTube動画があるので、そちらを紹介することにしましょう。
簡単に説明すると、リベットの実験とは被検者に脳波計を取り付けて、好きなタイミングで手首を曲げる様に指示します。
そして被検者は時計を見て、手首を曲げようと思った時間を正確に記録します。
普通に考えると、順番として
被検者が手首を曲げると決める -> 脳波が手首を曲げる様に動く -> 手首が曲がる
になると思いますよね。
ですが実際の順番は、
脳波が手首を曲げる様に動く -> 被検者が手首を曲げると決める -> 手首が曲がる
だったのです。
さて、この実験を知って皆さんはどう思いましたか?
自分の意志で何かを決めたり選んだりしていると思うのは大きな錯覚であり、本当は人間に自由意志などは存在せず、全ての言動は始めから決まっているのだと思いますか?
リベットの実験でキーとなるのが脳波だと思います。脳波が出る仕組みについては元を辿れば脳細胞、ニューロンから発せられる電気のようですね。その電気を観測することで、脳の動きを見ようとするのが脳波測定でしょう。
因みに脳波と言えば私が学生時代には“サイレントスピーチ”などが流行りましたが、その話はまた改めて書くとしましょう。
脳波がどの程度、人間の行動を正確に知ることが出来るのかについての疑問もありますが、今回は正確に知ることが出来ると仮定しましょう。
物理的に言えば脳波はこの宇宙にある四つの力の中の電磁気力を測るものであり、脳波測定は素粒子としての電子を観測する手法だと言えるでしょう。
今までに何度も言ってきたとおり量子力学によると、人間が観測するまではいかなるものの状態(位置と速度)も定まっていません。それは月のようなマクロな物体でもそうでしたね。
今回はその特性が顕著に表れる素粒子の電子、つまり微量な電流の観測です。
さて、ではリベットの実験で手首を曲げようと思ったときの脳波を観測し、そして被験者が手首を曲げようと思った時の時間を記録したとしましょう。
実験によると被験者が手首を曲げようと思った時間よりも脳波の観測の方が先ということでした。そして実験者である博士がその脳波をモニターで観測をしたとしましょう。
さてこの場合、被検者の手首が曲がることが決まったのはいつでしょうか?
あらゆるものは人間が観測するまでは決まっていませんでしたね。
では被験者の脳の中の状態が決まったのは「博士が脳波を観測したとき」ですか?
それとも「被験者が手首を曲げようと思ったとき」ですか?
この実験では時系列として、博士が脳波を観測する方が先でした。ならばこの観測が先に脳内の状態を決めているのでしょうか?
となると被験者が手首を曲げることはモニターを見ている博士が決定したことになりますね。
もしそうだとしたら、私は面白い仮説を考える事が出来ます。
それは脳波計を取り付けて誰かがそれを観測している時のみ被検者には自由意志が無く、誰も脳波を見ていない時には自由意志が存在する、という仮説です。
さて、これを否定する事が出来ますか?
或いは第三者が脳波を観測することは観測行為にはならないと考えるかも知れません。
では誰も観測していないとしたら脳の中の状態はいつ決まるのでしょうか?
脳の持ち主である被験者が自分の意識に手首を曲げようという意志を認知した(感じた)、つまり手首を曲ようと思ったことは観測行為にはならないのですか?
これらの疑問を解決するために一つの思考実験を考えます。これは思考実験ですが実際に行うことも極めて容易だと思われます。
リベットの実験では脳波の観測を博士がモニターを見て行いました。
ではもし、
被験者である本人が自分の脳波のモニターを見ていたらどうでしょう?
上記より、この例では自分で手首を曲げると決める前に自分の脳波が手首を曲げることを決めている様子がモニターで観測出来るはずですね。つまり自分の未来の行動が分かるわけです。ではこの場合、手首を曲げることが決まったのはいつでしょうか?
手首を曲げる脳波を自分で見てから0.3秒後に、ムラムラと手首を上げたくなってその決断をするのでしょうか?
更に更に、もし手首を曲げることを決めた脳波を被験者が観測したら、手首を曲げることを中止するように被検者に命じたらどうなるでしょうか?
自由意志が無いのなら止めることは出来ないでしょうか?
或いはそれも含めて未来は全て決まっていて、止めることが出来るのでしょうか?
もし中止出来たとしたら、そもそも脳波に現れる信号は参考程度であり、絶対的なものではないと考えるべきでしょう。
自由意志が無いとしたら、いつ手首を曲げる命令を脳が出すかは決まっているはずです。
ですが脳がその指令を出す様子を脳波計で観測すると手首を曲げるのを中止出来るとしたら、中止を決めているのは誰なのですか?
自由意志が無いのなら、これも脳が勝手に決めているのでしょうか? 脳は自分で手首を曲げようと決め、すぐさま「やっぱり中止しよう」と決めているのですか?
以下、この方法で手首を曲げるのを中止出来たと仮定します。(私はたぶん出来ると予想しています)
手首を曲げるを止める時にも時間的には脳波の方が自覚よりも先なので、きっと被験者の自覚では、手首を曲げようと思う前にそれを止めているはずです。
ではその際には脳波は手首を曲げようとし、その後に中止する脳波が出るのでしょうか?
被検者が手首を曲げることを中止すると決める前に中止する脳波が出ているのか、それとも脳波の前に意志が決定しているのかの順番がとても重要となりますね。
もし中止する脳波が出る前に、中止の決断の自覚があればこの実験は根底から覆るでしょう。
ですがもしこの方法で中止出来たとすると0.5秒以内に中止する行動を起こしているわけだから、もし脳波が先に出ていたら中止する行動は間に合いません。
脳波計の情報が目に入り、それを処理して脳が中止を決めてから0.3秒後に人間が認知し、そして筋肉に指令を送るまでの時間は明らかに0.5秒以上掛かるからです。
逆に人間の意志で中止を決定したとすると、説明の辻褄が合いますね。
つまり手首を曲げることを中止させているのは、まごうこと無き被験者の意志だと考えられます。
そもそもこの実験に参加することを決めたのは被験者の意志でしょう。
また博士の言うことに反抗せずに従順に手首を曲げることを決めたのも被験者の意志でしょう。
実際に脳が先走ったのは「実験中」という極めて短い時間内だけです。これは野球のバッターが考える前に玉を打つような反射行為に近い運動行為と捉えることは出来ないのでしょうか。
また人は時に何日も、何週間も選択を悩む事がありますが、これらも脳科学会としては全て気のせいであり、最初から脳によって決まっているというのでしょうか?
さて、別にだからといって「人間には自由意志が存在するに決まっている」と言っているわけではありません。ただ、リベットの実験だけから「自由意志は存在しない」と導くのはいささか乱暴であり、ぶっちゃけ短絡的だと思います。
少なくとも上記の問題程度は完全に説明出来るようにしてから「自由意志は無い」という結論を出してほしいと思います。
(実験も簡単なので、誰かやりませんかねえ?)
因みに私個人的には、脳には意識に対して行動を示唆する(促す)作用があると考えています。
例えばむかつく相手を殴りたい、という感情というか示唆が来ることがありますよね?
ですが実際に殴らない様に止めているのは自分の意志だと考えます。
私は自分の意志では一切決める事ができない自分の行動というのは「この世界に生まれる事だけ」だと考えています。
さて、今回はこの辺にしておきますが、実は私はこのリベットの実験結果と、人間が自由意志を持つ事の双方を両立する明確な答えを持っています。
それについては、近いうちに公開する予定です。
今回のテーマについて、皆さんも是非考えてみて下さいね。
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