自由の刑

かのサルトルは言いました。 

「人は皆、自由の刑に処されている」

サルトルはフランスの哲学者ですね。
 
突然ですが、私から皆さんに一つ問いかけます。
皆さんは“完全に自由であること”と、“完全に不自由であること”のどちらが幸せで、どちらがより不幸だと思いますか?
 
「わかりきっていることを聞くな」という声が聞こえてきそうですね(笑)。
 
完全に不自由な人生というなら、例えば“奴隷”のような存在でしょか?
完全な不自由とは、“やることの全てが強制的に決められている人生”とすれば、イメージが湧きやすいですね。
 
しかしながら人類の歴史を見れば、奴隷でなくともその殆どに於いて人々は不自由な側面を持っていました。
奴隷は他人によって行動の全てが強制的に決められる存在ですが、今までの人類は別に奴隷でなくとも食べていくためには毎日やらなければならないことが決まっており、それが死ぬまで続いていたのです。
それは王侯貴族などの一部の人を除けば、ですが、彼らとてある程度はやることが決まっていたはずです。
そして、そのやらなければならない行動のことを現在では“仕事”や“職業”と呼んでいますね。
 

では殆どの人が完全に自由な人生を送れる世界とはどんなものでしょうか?
これについても過去から学びたいところですが、残念ながらこれはまだ人類が経験したことがない世界なのです。
 
因みに日本はもちろん、アメリカを始めとした多くの国では、自由というものがとても素晴らしく価値あるものだと考えていますね。
日本でも“自由”という文字を含んだ名前の政党は非常に多くあったし、人気ロック歌手でも自由の大切さを音楽を使って強く叫ぶ人も居ました。
その他にも言論の自由、表現の自由、思想信条や、信仰の自由など、これらは無条件に大切で絶対に守らなければならないものだというコンセンサスが殆どの先進国でとられています。
これについては私も特に異論はありません。
 
ではサルトルは一体何を言っているのでしょうか?
実はこれについては同じく哲学者(で物理学者)のパスカルも似たようなことを言っていましたね。
果たして完全に自由であることは、本当に幸せなことなのでしょうか?
いえ、その前に”完全に自由である”とはどのような状態を指すのでしょうか?
 
実は今回のテーマというのは、プロジェクトを作る目的の中でもメインとなるものです。
戦争の根絶などはその道の途中にたまたまあったものだと私は考えているほどに、本テーマこそが最も重要なことなのですよ。

実は人間というのは、生物史上初めて完全な自由を手に入れるであろう存在なのです。

例えば空を自由に羽ばたく鳥たちは、我々にはさぞかし自由に見えるかもしれません。
ですが彼らとて実際には、天敵に怯えたり毎日食べ物を確保するための行動に殆どの時間を使っています。つまり彼らは単に自分の生命を継続し、そして子孫を残すための行動のみに殆どの時間を使っていることになります。

よって天敵や飢え、更には凍死や病気、そしてその恐怖から完全に解放される可能性があるのは恐らく人類だけであり、生命の維持と子孫を残すための行動以外に多くの時間を使うことが出来るのも恐らく人類だけでしょう。
実際に人間以外の生物をよく観察してみて下さい。彼らは一日の殆どの時間を食べ物を探す、採る、狩るなど、食べ物を確保するための行動と食べることに費やしているはずです。

もちろん現在の人類も食糧を確保するための行動から解放されていません。実際に殆どの人は“食べていくため”に働いていますよね?
「いや、俺は仕事が好きだからやってるんだ」という人も居るかもしれませんが、では無給でもずっとその仕事を続けることが出来ますか?

つまり我々人類も他の生物と同様、一生の殆どの時間を食べ物を確保するための行動に使っているのです。子どもの頃に塾や学校に行くのも、受験勉強をして学歴を身につけるのも将来良い職業に就くためだと考えると、“一生の殆ど”という表現も決して大袈裟ではないはずです。

つまりいくら言論の自由などがあっても、今なお人類は不自由なのですよ。
では完全に自由な人生とはどんなものだと定義できるかというならそれは、

生まれてから寿命で死ぬまでの間、ずっと好きなことだけをやっていれば良い人生

と言えるでしょうか。
子どもの頃に良く「もしも宝くじに当たったらどうする?」などという妄想話をすることがあると思いますが、正にそんな状態ですかね。
食べる物の心配も住む場所などの心配も無く、どれだけ使っても余るほどのお金があったなら、或いは現代でも“完全な自由”に近いものを手に入れることが可能かもしれません。
しかしながら実際には、宝くじで高額当選した人が皆不幸になっているのは有名な話ですね。

とにかく一つ言えることは、幸か不幸かは置いておいて、我々の社会はどこに向かっているのか?に書いたように全人類はそのゴールに向かっているのが現実です。
そしてその日は思っているよりも早く来る、というのも以前に書いたとおりです。

続く……。

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