意識は二つある その1
本記事は核心に迫る話なので一般公開するかどうかを迷いましたが、今後の記事に与える影響が大きいので取り敢えず公開することにしました。ですが本記事は何となくまたパクられそうな気がするので、一般公開は期間限定にするかも知れません。
さて、ここから先は明らかにセカンドステージに入りますので、今までの項を理解出来ていることが前提となります。
では早速、メタフェイスの中でもとても重要なテーマに入って行きましょう。
今までにも少し触れてきましたが、ここで私から深遠な問いを投げかけてみます。
もしVR解釈が正しいとしたなら、我々の意識は一体どこにあるのでしょうか?
VR解釈、VR仮説 というのはこの宇宙と世界は全てコンピューターによって作られているいわば幻影のようなものだという仮説です。そして「この宇宙」の中には当然ながら人間の体も含まれ、脳も含まれることになります。
一般に物質で出来ているものは、全てはコンピューターによって「存在しているように見える」ように作られているのですからね。
ならば人の意識についてはどうなのでしょうか?
従来の常識では、意識や心、自我といった物は全て脳が生み出していることになっていますね。昔には心は心臓に宿っていると考えられていた時代もあったようですが、現在では誰もが脳に宿っていると考えているでしょう。
理解を助けるために、一つレイヤーを上げて我々がVRを使った3Dのゲームをプレイすることを考えてみましょう。
実際にVRでプレイできる3Dゲームはたくさんありますね。私も昔に”Fallout”というゲームをプレイしたことがありますが、VR酔いが酷かったのをよく覚えています(笑)。
では今後このVRゲームが大幅に進歩して、現実との区別が難しいレベルのとてもリアルなゲームが作られたとしましょうか。
現実世界に似せて作るならば、ゲームの中には自分の体を含めた世界が忠実に作られることになりますね。例えばゲームの中では自分の手足を見ることが出来るし、鏡を見れば自分の姿が写ることでしょう。
するとプレイヤーは「この体こそが自分である」と錯覚するようになるかも知れません。
ですが実際にはプレイヤーの意識はどこに存在していますか? ゲームの中に作られた、CGで描かれたキャラクターの脳の中でしょうか? 当然そんなわけはありませんね。自分の意識の所在地はゲームの中でもなければコンピューターの中でもなく、コンピューターの外の現実の世界に存在する本当の自分の体の中、脳の中にあると考えるはずです。
よって、
いくらゲームの中の脳を探しても、意識が見つかることはありません。
同様にして一つレイヤーを下げて考えると、もしVR解釈が正しいとしたなら我々の意識は脳の中ではなくこの世界の外、つまりメタ世界の何処かにあると考えられるはずです。そもそももし意識が我々の脳の中に存在しているとしたら、それはVR解釈とは異なる概念になってしまいます。例えるなら我々の意識はコンピューターによって作られたAIの様なものになってしまいますからねぇ……。
もちろんその可能性が絶対に無いと言っているわけではありませんが、それはVR解釈とは違うものになってしまうのですよ。
これが私が「人間の意識はこの宇宙の中には無い」と言っている理由です。
よって私はいくら人間の脳を解剖して探しても意識が見つかることはないと考えていますし、実際に今でも脳のどの部位が意識を生んでいるのかは分かっていません。
ですがいつも言っているように、この宇宙の確実な法則は
論理的に無矛盾であること
ですから、脳の中を探して意識を生み出している部位が存在しないというのは不自然です。別の言い方をすれば矛盾が発生してしまうので、存在しない様に観測されることはないとも考えています。
ではもしも脳の中を精密に調べることが出来たら、どう見えるのでしょうか?
恐らく脳を徹底的に調べると、最終的には量子力学的な現象が意識を生んでいるように観測されて終わると思います。
今までに言ってきたように量子力学の世界は観測しない限り未決定なので、言ってみればそこに意識があるように見せることは実体を隠すにはもってこいなのです。そしてこの手法ならばこの宇宙に論理的な矛盾もありません。
つまり将来的には「きっと脳のこの部位が意識を生んでいるのだろうが、解剖して中身を見ようとすると量子状態が壊れてしまうため、実際には見られない」。恐らくそんな結果になると私は予想しています。
逆に外部から脳の中が正確に観測できると矛盾が生まれてしまいます。少し難しいですが、その矛盾について簡単に説明してみましょう。
例えばある人、Aさんが何らかの行動をする時のことを考えてみましょう。
何らかの行動、、、では仮に目の前のコップを手に取る行動を例にしてみましょうか。
もし外部から完全にAさんの脳の中を見られる、つまり観測できるとしたら、Aさんがコップを手に取ろうとしたことも原理的には分かるはずです。
人間の行動は脳の中の電気信号のやりとりで成り立っているので、電子の動きを観測することでAさんがコップを手に取ろうとしたことが分かることになるでしょう。
しかしながら電子は量子力学が支配する世界なので、外部から脳の中を観測した瞬間にコップを手に取る事が決まったことになりますね。
逆に電子は誰かがAさんの脳の中を観測するまでは「シュレディンガーの猫」の様に未決定です。
ではこのケースではAさんがコップを手に取る事はいつ決まったのでしょうか?
量子力学に則って考えれば、誰かが「シュレディンガーの猫」で言うところの蓋を開けた時、つまりAさんの脳の中を観測したときですか?
でもAさんがコップを手に取る事を決めたときには、誰も観測していなくとも既に脳内の電子の状態は(コップを取ることに)決まっているのではないですか? この場合、Aさんは観測者にはならないのですか?
脳の所有者であるAさんには量子の状態を決定する観測者になる資格はないのですか?
Aさんがコップを手に取る事を決めることは自分の脳の観測行為にはならないのですか?
つまりコップを取る事象が決まったのは、外部の人がAさんの脳を観測した時なのかAさんがコップを手に取る事を決断した時なのか、どちらなのでしょうか?
これは明らかに矛盾です。
これは実に厄介な問題ですが、結論はシンプルです。外部からAさんの脳の中の、意識があるとされる部位が「正確に観測できなければ矛盾は無い」のですよ。
「シュレディンガーの猫」などの記事で何度も言ってきたように、電子のような量子は観測する前の状態を知ることは出来ません。
でありながら、観測すると量子状態が壊れてしまって本来見たかったもの(Aさんがコップを手に取る事を決める様子)は見えないのです。当たり前のことですが、観測する前がどうなっているかを観測で知ることなど出来ませんからね(笑)。
そして意識というのは、その観測する前の脳の中(量子的コヒーレント状態)で作られている様に見えると思われます。
(いつの日か医学が進歩してこの実験が出来るようになったなら、きっとその様に見えると予言しておきます)
例えるならこれは、量子コンピューターが計算中に、計算経過を覗いて見てしまうと量子状態が壊れてしまい、それ以後の計算できなくなるのに似ているでしょうか?
つまり実際の脳内の電子がどうなっていようが、脳の所有者は意識を持っている様に振る舞え、感じられるのです。実は脳の中に意識が無くても、量子力学のおかげで矛盾無く意識が有るように見えるのです。
(正確には脳の中の意識があると予想される部位は、量子力学のおかげでブラックボックスになるので意識が有る事を否定できない。
つまり外部から電子を直接観測していない時のみ意識を生んでいる様に見える。逆に言えば量子状態が壊れていないことが「生きていること」の必要条件となるでしょう)
以上が私が脳の中に意識が有ることを証明できないと考える理由であり、意識はこの宇宙の中には無いのではなか(無いことを論理的に許容する)と考える理由です。
続く……。
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