私は悟っているのか?


この話はもう少し先に書こうかと思っていたのですが、ここまで悟りの話で来たので流れ的に難しい話に入る前に書いてしまおうと思います。

嘘をつくことは一般社会においても悪いこと、つまり“罪”だとされていますね。
もちろん動機や内容によりけりでしょうが……。

仏教の世界でも当然ながら嘘をつくことは罪とされているようですが、その中でも最も重い罪となるのが“悟っていないにもかかわらず、悟ったと嘘をつくこと”なんだそうです。
きっとその嘘を見抜くことが出来るのは、本当に悟った人だけだと思われます。

ですが本当に悟った人などは世界中を探しても数人程度しか居ないと思うので、その嘘がバレる確率はとても低いでしょうね。
よって実際のところ悟ったかどうかは自己申告によるところが大きいので、この嘘はとてもたちが悪く全ての真面目な修行者から見ればチートもいいところでしょう(笑)。

特に悟りの内容を知ってしまえば、簡単に“悟ったフリ”が出来ることになると思います。

さて、私も今までに悟りについてその具体的な内容も含め多くを書いてきましたが、質問が来る前に答えておこうと思います。
それは私自信が悟りを開いているかどうかについてです。
結論から言えば、少なくとも現時点では開いていません。

この話はとても長くなるのでどの程度話すかが難しいのですが、更に付け加えるなら現在の私はこう思っています。

「もし悟れるとしても、まだ悟りたくない」

もしかしたらこの考えに疑問を持つ方も居るかも知れないので少し説明しておきましょう。

古い話ですが、私が小学生の時に東京ディズニーランドがオープンしました。開園当時、ディズニーランドはとても大きな話題になっていて、私も小学生の時に一度だけ連れて行ってもらったことがありました。
今時は開園当時と比べると比較にならないほど多くのアトラクションやら設備やらがあるのでしょうが、当時の私が一番感動したのは“カリブの海賊”というアトラクションでした。
これは開園当時から有って最も評判が良かったアトラクションの一つでした。(今でも有るのかな?)

知っている方も多いと思いますが、このアトラクションは小さな船に乗って水路を進んでいくのですが、その世界観が正に昔のカリブ海の海賊をテーマにしていて、私はその世界に現実世界を忘れるほどに没入してしまいした。
うっそうとした木々に、とても精巧な人形たち。時にグロテスクな演出。中はずっと暗いし、子どもの私は正直に言って途中で少し怖くなりました。
そんな時に私を現実に戻して恐怖から抜け出させてくれたのが、決まった間隔ごとに設置されている非常口の案内看板でした。



でもこれは良く言えば恐怖感が消えますが、悪く言えば興ざめします。だって入り込んでいたフィクションの世界から急に現実に戻された様な気分になりますからね。

フィクションの世界に没入しているのにそれをフィクションだと分からせ、現実世界に戻されるという点で、これは悟りと似ています。
確かに怖いことや辛いこともありますが、せっかくフィクションの世界に没入しているのだからそれらから逃れるために悟ることは私は今はしたくないのですよ。
なのでフィクションであろうがなかろうが、もう暫くこの世界に没入して楽しみたいと私は思っています。

なので現時点では、もし悟れるとしても悟りたくはないのです。

話は変わりますが、この間Amazonプライムで元祖の”エクソシスト”を見ました。
これは後の映画界に大きな影響を与えたホラー映画の巨星として有名ですよね。

エクソシストに関しては、アメリカで上映された当時は映画館で観客が吐いたり気絶したり泣きながら外に逃げ出したなんてエピソードが有名ですね。
この映画は悪魔と神父の戦いの話なので、正直に言って日本人が見てもあまりピンとこないかも知れませんが(演出だけでも私は十分怖かったが(笑))、キリスト教徒が見るととてつもなく恐ろしいそうです。

悟りとは例えるなら、怖い映画を見ながら「これは現実ではない、フィクションだ」「出ている人はみな役者で、特殊メイクをし、後ろにはカメラマンや監督がいて……」と念仏の様に唱えて恐怖か逃れることに似ている気がします。
そうすれば確かに恐怖心は減ることでしょう。でもそれって、楽しいですか?(笑)
せっかく映画を見ているのだから、その世界に入って怖いことも含めて全て楽しんでしまえ、って今の私は考えています。

そしてどうしても耐えられなくなった時に、悟れば良いのではないでしょうか?

こんな事を言ったら仏教筋の人から怒られるかも知れませんが、釈迦は何を悟ったのか(後編)に書いたとおり本当の悟りとは自らの意志で生きながらにして成仏することであるので、これは自殺に似ていると考えています。
なのである意味では悟ることもゲームオーバー(或いはゲームクリア?)の様な気がするのです。
或いはチートやハックなのかも知れませんが……。

今回書いた私の考えは今後時間と共に変わるかも知れませんが、これが現時点での正直な自分の感情です。

同様にして他人を悟らせることの是非に関しても現時点では「良く分からない」というのが本心であり、これから考える課題でもあります。
言うまでもなく、現時点ではまだメタフェイスは完成していません。

因みにもし私が自称“悟りを開いた人”に出会った時に、その人が嘘をついていないかを確かめるとしたなら、以下の二つの質問をすると思います。

1, 悟りの内容とは一体何ですか?
2, 悟ったあなたの目には、この世界は、宇宙は、そして人類はどう見えているのですか?

もし本当に悟った人であるのならば追加して、

1, 超弦理論やM理論は正しいのですか?
2, 超統一理論は存在するのですか?
3, 量子力学に間違っている点はありますか?
4, VR解釈は正しいですか?

いや、悟った人は神様じゃなかったか(笑)。


因みにですが、、、今の世界に本当に悟り(仏覚)を開いている人って何人居るのでしょうかね?
80億人中きっと多くても数人、下手をすると一人も居ない可能性だって十分に有り得ると私は考えています。


戻る   トップページ