VR刑の試験執行におけるレポート

 

序論

 世界的な死刑廃止の流れを受けて、日本でも死刑制度の廃止が決定された。それに伴い、殺人、傷害、強姦などの凶悪犯罪者に対して死刑の替わりに行われる新たな刑として、バーチャルリアリティを用いた“VR刑”が試験的に導入されることになった。

 本レポートは、その試験執行の結果をまとめたものである。

 

VR刑について

 人権上の配慮に対する時代的な流れから日本に於いても死刑制度が廃止されたが、残念なことに凶悪犯罪は依然として存在している。

 そこで凶悪犯罪の被害者や遺族らの感情の溜飲を下げること、そして凶悪犯罪自体の抑止効果を目的として、かねてから死刑に替わる新しい刑罰が検討されていた。その中の一つが、バーチャルリアリティを使った刑罰、”VR刑”である。

 VR刑とは、犯罪者に対して刑務所内にて服役期間中に月に一度、毎月行われる刑である。その内容は、VR機器を受刑者に取り付けて、主に自分が行った犯罪の被害者の体験を、受刑者本人が仮想体験する形で行われる。これは受刑者に苦痛を与えることに加えて、自分が行った犯罪の被害者の気持ちを理解することを最大の目的としている。

 

人権上の問題(拷問との区別)

 日本に於いては、人権上の配慮から拷問やそれに類する行為は以前から禁止されている。VR刑は、あくまでコンピューターグラフィックス(CG)を使用した仮想体験であるため、現時点ではこれは拷問にはあたらないとの解釈になっている。

 また本刑罰は自分が行った犯罪を疑似体験するのみであることからも拷問とは区別されるとの判断であるが、本試験の結果がVR刑が拷問相当であるのか否か、また人権上の問題が存在するかどうかを判断をするための重要なデータとなると考えられる。

 

VRの概要

 VR(バーチャルリアリティ)とはコンピューターグラフィックスによって作られた世界を、現実の世界のように疑似体験するための技術である。VRは3Dテレビとは異なり、左右の目に別の画像を表示するモニタを内蔵した装置を頭にかぶるように装着し(これはヘッドセットと呼ばれる)三次元のCGを表示するものである。

 ヘッドセットは装着者が頭を動かすことを各種センサーで検知(トラッキング)しており、CGによって描かれた世界の中で実際に頭を動かした方向の景色が描画されることで、CGによって作られた世界に対してあたかも現実の世界にいるような臨場感を与える機器である。

 また同様にトラッキングされるコントローラやグローブ形状の機器を手に装着することで、CGの世界の中で物を掴んだり投げたりすることを可能としている。

 VRの技術は元々、主にコンピューターゲームやドライビングシミュレーターなどに使用されていたが、昨今ではCGやセンサー機器などの技術の向上により現実とVRの区別がつかないレベルになってきている。よって、これを刑罰に応用しようとするアイディアが一部の市民団体から生まれてきたことが、本VR刑試験導入のきっかけとなっている。

 

VR刑に使用する具体的な技術

1、 視覚について

 VR刑の視覚にはヘッドセット型のVR機器ではなく、最新型であるコンタクトレンズ型のモニタを使用する。これは眼球にコンタクトレンズと同様に貼り付けるタイプの小さく高精細なモニタである。このモニタは装着に違和感がなく、バーチャルリアリティの世界への没入感が更に向上し、装着者には現実との区別が完全につかなくなるとされている。

 また、これは目をつぶっていても眼球に直接モニタが張り付いているため、スイッチを切らない限り画像を見えなくすることが不可能であることも、刑罰には向いているとされている。(ヘッドセット型だと目をつぶる事で視界を塞ぐことが出来るため、刑を逃れることが可能となる)

 モニタに表示されるCGは、リアルタイム・レイトレーシング技術などを使用することで極めて精巧に作られており、またその中には手足など自分の体も描画される。これら自分の体のパーツは、破損すると出血をしたり千切れたりするするところも実物と見分けがつかないレベルでシミュレートされている。

 これらのリアルなCGと正確なヘッドトラッキング機能により、視界は現実とバーチャルとの区別がつかないレベルに仕上げられている。

2、聴覚について

 次に聴覚についてであるが、これは既存のイヤホンと骨伝導型スピーカーを使用する。骨伝導型スピーカーにより、音は耳の鼓膜だけでなく、骨など体全体の振動としてもリアルに伝わる。

 聴覚についてはこれら従来の技術で十分に現実との区別がつかなくなることが判明している。

3、触覚について

 触覚については、”VRスーツ”と呼ばれる拘束着のような形状をした全身をピッタリと覆うスーツ(頭部を含む)を受刑者に着せるものとする。

 このスーツはパワードスーツの様に外部から空気圧を使って自由に四肢の関節などを動かすことが可能で、また体の任意の場所に空気によって圧迫感を与えることも可能である。これにより、受刑者が仮想的に押さえつけられたり首を絞められたりする感覚を得ることが可能となる。また局所的に圧迫することで、刃物で刺されたような感覚を疑似体験することも可能としている。

 ただしこのスーツは単独では臨場感が少なく、圧迫感も痛みや苦痛は殆ど感じない程度のものである。この様な苦痛の少ない設計となっている理由はVR刑を拷問と区別するためであり、これも受刑者の人権に配慮した結果である。

4、味覚と嗅覚について

 味覚と嗅覚については、何も刺激を与えないものとする。人間の持つ五感の中でも味覚と嗅覚は仮想的に実現することが極めて困難であるため、これらの感覚刺激は省略されている。ただし、他の三つの感覚が揃うとこの二つも感じるという体験をした被験者が今までに多くいることが知られている。その理由についてはまだ解明されていないが、脳が持つ一種のエラー(錯覚)ではないかという仮説が有力である。

 

VR刑の執行方法

 刑は毎月、最終月曜日に全国五箇所にある刑務所内のVR用コンピューターが置かれた専用部屋にて行われる。受刑者の姿勢はVRスーツを着る都合上、立位では困難であるため、簡易ベッドに横たわった状態とした。

 VR機器は実際の犯罪実行シーンに入る30分前から装着される。これは、受刑者がVRの世界に慣れて完全にそれが現実の世界のように感じられる状態になるためには、少し時間がかかるためである。

 VR刑の内容は、自分が犯した犯罪の被害者と同じ体験をするものなので、受刑者によってその内容は異なる。例えば腹部を刺した者は、腹部に圧迫感を与えると同時に刺されて自分の腹部から出血する映像が流れる。鉄パイプで頭部を撲殺したものは、頭部に圧迫感を与えながら撲殺される映像が流れ、首を絞殺した者は同様に首に圧迫感を与えながら手で首を絞められる映像が流れる。その中には人の声を含めた全ての音と骨伝導による振動もリアルに再現されている。

 なおその時の加害者の顔は、本実験の仮定から不確定な要素を排除するために、コンピューターによって無作為に選ばれた面識のない第三者の顔とした。だが実際には加害者が誰であるのかはその人の精神や苦痛の度合いに対し、重要なファクターとなるだろう。よってこの点については今後、十分な議論が必要だと思われる。

 

受刑者のデータ

  VR刑の受刑者は、服役中の殺人犯の中でも二人以上を殺害した特に凶悪な犯罪の加害者であり、従来ならば死刑相当になる者たちである。

 それら候補者の中からコンピューターによって無作為に選ばれた五十人が本試験の受刑者である。

 なお受刑者の中には、自動車によるひき逃げ犯も含まれている。また、毒殺による殺人犯はVRでの再現が困難であるため、今回は除外されている。

 選択された殺人犯の具体的な殺人方法の内訳は図1のとおりである。
 なお男女比は男性が47人、女性が3人であり、平均年齢は34.3歳であった。

図1 受刑者の殺人手法の種別

 

第一回目の執行結果

 本VR刑は、全国五ヶ所の各刑務所にて午前10時からスタートし、それぞれ同日に10人ずつ順番に行われた。

 執行中のVR機材のトラブルはいずれの刑務所に於いても特に認められなかった。

 執行後の受刑者の状態については、医師によって鑑定が行われた。鑑定結果の内訳を以下の表に示す。

受刑者の状態

人数(人)

抑うつ状態

18

失神

11

精神錯乱

8

死亡

2

大きな変化無し

11

 

 

 

 


図2 受刑者の鑑定結果

 

 本VR刑では人間の持つ五感のうち、味覚と嗅覚については何も刺激を与えていないが、過半数の受刑者が味や匂いを感じたと証言している。その中でも最も多かったものが、血の匂いや味であったが、中には加害者の体臭や口臭までも感じたと証言した者も居た。

 触覚についても、VRスーツでは与えてない刺激についても痛みや圧迫感として感じたと証言した者が多かった。

 また殆どの受刑者がVRスーツによる軽い圧迫にもかかわらず、それを激しい痛みとして感じ、とても苦しかったと証言している。そしてその痛みはVR機器を全て取り外してからも、数十分程度続いたと証言した者が多かった。

 VR刑の執行後、一週間の経過観察を行ったが、37人の受刑者に於いてPTSD(心的外傷後ストレス障害)と思われる症状が確認された。更に42人の受刑者がVR刑は二度と行いたくないと懇願していたことも確認されている。

 更にこのVR刑が服役中毎月行われることを示すと、7人の受刑者が自殺未遂をしたという報告も付け加えておく。

 

VR刑の執行結果の考察

 本試験によりVR刑は、受刑者にとって非常に大きな精神的苦痛となることが判明した。受刑者の多くが刑の執行中にVRと現実との区別がつかなかったと述べていることから、おそらく脳内では本当に犯罪の被害にあった時と同じ状態になっていたことが予想される。

 特にVR刑にて、二人の死亡者が出たことについては深刻に受け止める必要が有る。(この事故により、二回目のVR刑の執行は無期限延期となっている)

 死亡した受刑者の二人は、ナイフによる刺殺犯と酒酔い運転によるひき逃げ犯であった。刺殺犯は、自分の胸部から出血する様子がVRにて再現されており、ひき逃げ犯には自分の内臓が破裂して体外に飛び出ている様子が再現されている。そしてどちらも出血多量で徐々に目の前が暗くなり、意識を失って死に至る状況が再現されていた。

 この二人の受刑者はVR刑の執行中には特に錯乱状態になることもなく、むしろ殆ど動かずに静かであった。もちろんVR刑では実際に傷を負わせることは一切ないが、それでも死亡に至ったことは大きな疑問として残る。

 現時点でこの事故の原因は、強いノーシーボ効果によるものだと考えられている。


※ プラシーボ効果とノーシーボ効果について

プラシーボ効果とは、被験者(患者)に薬だと言ってなんの効果もない小麦粉で作られた錠剤を与えても、実際に治療効果が発生するような現象である。鎮痛薬や抗うつ薬などの偽薬に特に効果が高いとされている。
ノーシーボ効果はプラシーボ効果の逆であり、小麦粉でできた無害の薬を飲んでも、それを猛毒だと信こませると被験者が実際に苦しみだすことが有るような現象を指す。
これらは脳による思い込みが治療や発病(発症)に作用していると考えられているが、未だ仮説の域を出ていない。

 

 ノーシーボ効果については、“ブアメードの血”と呼ばれる有名な実験が存在する。

 “ブアメードの血”とは、第二次世界大戦前のヨーロッパで行われたとされる実験で、内容については以下の通りである。

 まず死刑囚に目隠しをして医師が、人間は全血液の10%を失うと死亡すると説明した後に、ベッドに横たわらせて足先を小さく切開する。そしてその下にバケツを置いて血が滴り落ちる音を、音が大きく反響する部屋で死刑囚に聴かせる。
 ところが実際には少し切開しただけなので出血はすぐに止まっており、バケツに滴り落ちる血の音はただの水を垂らす音であるのだが、死刑囚は見る見るうちに顔が青ざめていき、医師が「出血が全血液の10%を超えた」と言った際に死亡したというものである。(ただしこの実験が本当に行われたという証拠は見つかっていない)


 今回のVR刑に於いて死亡者が出た件については、VRの中で自分の体が刺されたり車ではねられたりすることで、体から多量に出血したり臓器が飛び出る様子が再現されていることから、この“ブアメードの血”の様な強力なノーシーボ効果が受刑者に働いて、心停止に至ったのではないかと考察される。

 またVR刑の執行中に失神者や精神錯乱となる者が多く出たこと、そして執行後に殆の受刑者が抑うつ状態やPTSDの症状を発症したことから、この刑は実際に凶悪犯罪の被害者になった時と、症状、並びにその分布が殆ど一致していると言える。

 これらの事実からVR刑が受刑者に与える苦痛は、死刑を待つ受刑者と同等以上であると考察される。二回目のVR刑の執行前に自殺未遂をした者が7人も出た事からも、この見解は正しいだろう。

 

本VR刑の再犯防止効果についての考察

 凶悪犯罪者に被害者の体験を疑似体験させるという方法で大きな苦痛を与えるため、加害者が被害者の気持ちをよく理解するという目的については、概ね達成されていると考えられる。被害者の気持ちを深く理解できることから自分の犯した犯罪と真剣に向かい合うこととなり、これは受刑者の出所後の再犯防止効果が期待できるはずである。

 またVR刑はその苦痛の大きさから、凶悪犯罪の抑止効果という観点からも死刑に替わるものになる可能性を秘めるだろう。
 ただし、服役期間中に毎月この刑を執行するという方法は受刑者の精神的負担が大きすぎて、精神疾患を発症したり自殺するなどの問題を生じる可能性が高いことが本試験で判明した。

 よってVR刑は効果は大きいが、受刑者に与える苦痛は法が禁じる拷問と事実上変わらないと言えるだろう。死者が二人出たことも含め、このことは人権上の配慮から極めて大きな問題となると考えられる。

 しかしながら刑を目的とするものでなく、凶悪犯罪以外の犯罪者の更生にVRを用いる方法は有効である可能性が有る。

 例えば被害者の苦痛を理解できずに再犯を繰り返す特定の犯罪者などに対して、VRを使用することで自分の犯した罪を疑似体験することで罪の意識を持たせ、更生させる様な使用用途である。

 ただし更生目的の使用においては、間違っても死者や精神疾患に陥る者が出ないよう医師などの監修の元、VRが与えるストレスレベルを下げて行うなどの工夫をする必要があるだろう。

 いずれにしてもVRの使用は今後、その効果だけでなく犯罪者(受刑者)の人権保護とのバランスを取ることが最も難しい課題になると思われる。

 

結論

 本試験により、かねてから知られていたノーシーボ効果がVRの使用においても強く発症することがわかった。本試験は、人間の脳機能の不思議を改めて知る結果となった。VRが脳に及ぼしたこれらの現象の具体的なメカニズムについては、今後の脳科学による解明に期待する。

 ノーシーボ効果はいわばVRの負の利用方法であるが、逆にプラシーボ効果についてもVRが強い効果を示す可能性が有ることが、本結果から予想される。
 例えば手や足を切断した者が、実際には存在しない手や足に痛みを感じる“幻肢痛”という有名な症状がある。この症状は極めて強い痛みが生じてそれが継続するのだが、鎮痛薬や麻酔などは(手足が存在しないため)当然ながら効かない。この症状の原因はまだ完全には解明されていないが、おそらく脳内の手足の痛みを司る部位のエラーであるとされており、今までは治療方法が存在しなかった。

 ところがそれらの患者にVRの中で手や足を復元し、VR中の手足を治療することで痛みが消えたり緩和したケースが今までに何例か報告されている。これはVR中で手足を治療することにより、脳の中の情報が更新されてエラーが修正されたという仮説が現在のところ有力である。

 本VR刑の試験を含めたこれらの事実は、人間は視覚から入る情報によって、他の感覚も大きく左右されることを示唆している。よって自分の目に見える傷病については、VRによる治療が役に立つ可能性を秘めているだろう。
 例えば負傷者に対してVRの中で治療して傷が治癒している映像を見せることで、実際の痛みが緩和する可能性があると思われる。これは刺し傷や切り傷だけでなく、重度の火傷などに於いても有効だろうし、アトピー性皮膚炎などのかゆみの緩和などに対しても、おそらく効果が期待できる。

 VRは人間の様々な苦痛を緩和するために、大きく役立つ可能性を持っている。またその中には過去のトラウマなどの、心理的な痛みや苦痛も含まれる可能性も秘めていると考えられる。
 VRによるプラシーボ効果の利用は、従来の治療法では痛みや苦痛が緩和できなかった患者に対して、西洋医学、東洋医学に次ぐ第三の治療方法として、新しい医療の可能性となるはずだ。

 そして最後に今回試験的に行われたVR刑についてであるが、この刑の正式導入については人権上の配慮から、極めて慎重に行わなければならないことがわかった。
 死者が出たこともその理由であるが、受刑者の苦痛の大きさについても今後、医師や心理学者、法律家などの有識者からなる委員会を設置して詳細に調べる必要があるだろう。そしてその結論が出るまでの間、VR刑の執行は凍結するべきであると思われる。

 
 以上


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