パスカルの賭け


皆さんは普段、意識していないかもしれませんが、我々は日常的にいつも賭けをして生活をしています。
例えば夜に目覚まし時計をセットするのは、そうすれば明日の朝、希望した時間に起きられる方に賭けているわけだし、駅まで走るのは乗りたい電車に間に合う方に賭けているからです。
更に言えば、そもそも電車が時刻表通りに駅に来て、目的地まで送ってくれることに賭けているのです。

それはそれとして……、“パスカルの賭け”と呼ばれる有名な賭けの話があります。
これは天気予報でよく聞く気圧の単位“ヘクト・パスカル”でお馴染み、哲学者で物理学者のブレーズ・パスカルさんが考えた賭けのことです。

パスカルは「神が居る方に賭けるべきか、居ない方に賭けるべきか?」何てこと考え、結論として「神が居る方に賭けるべきだ」と言いました。
その理由は、神が居る方に賭けると賭けに勝ったとき、つまり神が居たときに得るものが大きく、仮に賭けに負ける、つまり神が居なかったとしても失うものは何もないためだ、というものでした。
因みに神が居たときに得られるものの内容は宗教によってそれぞれ教えが異なりますが、信仰を持ち、それぞれの宗教の決まり事などを守ることで、例えば死後に天国に行けたり良い場所に生まれ変われることなどが、得るものですね。
逆に信仰を持たない者は天国には行けず、それどころか地獄のような場所に行くと教えている宗教もありますね。

よって神を信じると賭けに勝ったとき、つまり神が本当に居たときには得るものが大きい上に、仮に負けても、つまり神が居なくても失うものは何もないと。
逆に神を信じなければ、たとえ賭けに勝って神が居なくても何も得るものはない上に、もし負けて本当は神が居たら地獄に行くなど大変な目に合う、つまり失うものが大きいと。
なので「神の有無が判らない我々は、神が居る方に賭けるべきだ」と、以下の図の様に論理的に説きました。

  神は存在する 神は存在しない 
神の存在を
信じる
 大きなメリット  デメリットは無し
神の存在を
信じない
 大きなデメリット  メリットは無し

図1

まあ分かりやすくするためにかなり大雑把に書いていますが、意味するところは大体こんなところでしょう。
もちろん、この論法に対しては反論も沢山あります。詳しく知りたい方はWikipediaでも見てくださいね。

因みにこの“パスカルの賭け”を私が始めて知ったとき(かなり昔)に思ったことは、

「神を信じる、宗教を信じることには本当に何も失うものがないのか?」

といったものでした。
そして、以下のような反論を考えました。

パスカルが例に上げているキリスト教一つとっても、キリスト教徒には色々な制約がある。
例えば離婚をしてはいけないとか、宗派によっては中絶や避妊さえ禁止していたりしている。
また輸血をしてはいけない宗派も有名でである。
これらの決まりを守ることには、本当に失うものが何もないと言えるのか?
本当に信じる通りの神が居れば良いかもしれないが、もしも実際には神がおらず、これらの決まりを我慢して守ったことに何の意味もなかったとしたら、それでも失うものが何も無いと言えるのか?
これらの重大な我慢によって、何かを失うことも有るのでは?


といった具合です。
まあ、この私の反論への判断は皆さんにおまかせします。私の考えは今回は書きません。


さて、話を戻しましょう。
現代に於いて“パスカルの賭け”とは一般に、賭けに負けたときに失うものが少なく、勝ったときに得るものが大きい賭けのことを指すようです。

というのも、賭けに参加するためには普通は、自分の所有する金品を“掛け金”として差し出さなければなりません。
例えば競馬ならば馬券をお金を出して買うわけですし、パチンコならばお金で玉を買う必要がありますね。そしてもし賭けに負ければ、そのお金は没収されてしまいます。

もちろん賭けに勝てば、賭けたお金が増えて返ってきます。
そして一般に、賭けに勝ったときに手に入るお金の量は、賭けたお金の量に比例しますね。株やFXにしてもそうでしょう。
つまり大金を賭けるほど、勝ったときには大金が手に入るわけです。
(生命保険や自動車保険も、ある意味でこのルールに従った賭けです)

しかしながら世の中には、賭け金なしに、或いは極めて少ない賭け金でとても大きなリターンが得られる賭けが存在するのです。
例えば、懸賞ハガキに応募するとしましょう。掛かる費用はハガキ代だけです。
懸賞に外れても失うのはハガキ代だけで、もし当たればハワイ旅行にタダで行けたりしますね。

その他にも、例えばあなたが街を歩いていたら素敵な女性が居て一目惚れしたとしましょう。
ここで話しかけるのも、一つの”パスカルの賭け”です。
彼女に話しかけるために、何か金品を差し出す必要ありません。つまり賭け金は必要ないので、独身の男性ならば誰にでもこの賭けへの参加資格があります。
そして仮に賭けに負けて冷たくあしらわれたとしても、失うものは何もありません。

ですがもしも賭けに勝ったなら?

もしかしたら彼女は恋人になり、生涯の伴侶となってあなたは至福の人生を送れるかもしれません。
なので賭けに勝った時に得るものはとても大きいと言えます。
しかも彼女は、逆にお金を積んでも手には入りません。

さて、あなたならこの賭けに挑戦しますか?

ええ、残念ながら、殆どの人は彼女に声を掛けることはしないでしょう。
そしてその理由を尋ねたら、きっとこう答えるでしょう。
「冷たく断られた時に、精神的にへこむのが嫌だ」と。要は「傷つきなくない」と。

或いは「この時に賭けるのはお金ではなく、自分のプライドだ」と考える人も居るかも知れませんね。
確かに金品は失わないが、プライドを傷つけられると。

日常の中には、この様な”パスカルの賭け”が多く存在しています。
そしてその時に賭け金となるのは、プライドだったり時間だったりすることが多いでしょう。
受験や就職などの各種試験、オーディション、異性への告白、仲直りしたい人への謝罪など、どれも賭けに勝てばその結果が人生を左右するような重要なことですが、賭けるのはお金ではありません。

賭け金が無くとも、あなたが生きている人間である限り、これらのゲームに参加することが出来るのです。


迷った時に、それが“パスカルの賭け”ならば、是非賭けてみることをお勧めします。
或いはプライドが傷つくのを恐れて何もしない事があなたのプライドだと考えるのなら、それも一つの選択です。


因みに本項をライフハックではなく思想・哲学に入れたのは、後にとても重要となる考え方だからですので、ぜひ覚えておいてくださいね。

 
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