先人たちは何を守るために戦ったのか?


量子力学の小難しい話が続いたので、箸休めに政治的な話題でも書いてみましょう。

ウクライナとロシアの戦争、なかなか終わりが見えませんね。
理由や経緯はともかく、構図としてはロシアがウクライナに侵攻してウクライナは国を守るために戦っています。

さて、では “国を守る”とは具体的には何を守る事なのでしょうか?
平和ボケしている我々日本人には、ここら辺の事はなかなか分からなかったりしますよね。
もしもウクライナが戦わずにロシアに無条件で降伏したら、一体何を失うのでしょうか?

ウクライナ人が全員殺される? 或いはウクライナの領土をロシアに全て取られてウクライナ人は住む場所が無くなる?
まあ、どちらも有り得ないでしょう。きっとウクライナがロシアの一部になるだけで、そこに住むウクライナ人はそのまま生き続ける事が出来るでしょう。

逆に戦争を継続した方がウクライナ人が多く死ぬだろうし、多くの街が破壊されることでしょう。
うーむ、ますます分からなくなりますね。彼らは一体何を守るために戦っているのでしょうか?

そもそも国を守ることとは何なのか?

今回は第二次大戦時の日本を例として国を守る事について考えてみましょう。
日本はいわゆる太平洋戦争時に主にアメリカと壮絶に戦いましたが、彼らは一体何を守るために戦ったのだと思いますか?
一般には「国を守るため」と言われていましたね。
戦争で戦った彼らだって我々と同じ人間ですからやりたいことも有ったろうし、愛する人や家族も居たことでしょう。よって死にたい人など居なかったはずです。
なのにそれらを捨てて死を覚悟して戦うからには、相当なモチベーションが必要となるはずです。
「当時は皆が強制されていた」や「洗脳されていた」などの、ステレオタイプ的な説明はそれで話が終わってしまうので今回は避けましょう。
そしてモチベーションはどうであれ、結果的に先人たちは何を守ったのでしょうか?
「国を守る」とは、具体的には何を守るという意味なのでしょうか?

よく言われている、天皇でしょうか?
いいえ、天皇という存在はは確かに象徴的に使われていましたが、文字通りに「天皇さえ守れば他はどうでも良い」と考えていたわけではないはずです。

では日本国民でしょうか?
これも違うと思います。少なくとも戦争を避けたり、或いはもっと早く降伏していても日本国民の命は史実と同程度、もしくはそれ以上が守られていたことでしょう。

ますます分かりませんね。先人たちは一体何を守るために命を投げ出してまで戦ったのか。
ここから先は、私の解釈となります。

彼らが守ろうとしたのは、日本の文化と伝統だとされています。
もちろん、皇室もその中に含まれることでしょう。

もしも日本がハワイのように公用語が英語になり、文字もアルファベットになり、あらゆる文化、伝統、習慣が欧米のものになっても良いと考えていたら、そもそも戦う必要はなかったと思います。(これは日米戦争だけの局所的な話ではなく、第二次大戦当時の白人と有色人種の大局的な関係を考慮した意味です)
ぶっちゃけ、たとえ植民地になったって国民は生物学的には生きていますからね。

では戦ってもしアメリカに勝っていれば彼らの望み通り未来永劫、日本の文化と伝統は守られたのでしょうか?
当たり前ですが戦死すれば、彼らは未来のことに干渉など出来ません。
よってもし彼らが命を捨てて守ったとしても、子孫たちが自らの意志で積極的に日本の文化と伝統を捨て、自ら欧米に取り込まれる選択をする可能性があることもきっと知っていたはずです。
それこそ「先人たちはどうせすぐに無くなるもののために戦って死んでバカじゃないの?」と言わんばかりに。

さて、ではもう一度問います。彼らは一体何を守るために戦ったのでしょうか?

実際に先人たちが守ったものは、

子孫の選択肢

なのですよ。

子孫とはすなわち我々のことです。我々が日本の文化と伝統を継続することも、またはこれらを捨てて外国のものに取り替えることも、そのどちらも先人たちは選べるようにしてくれたのです。
これが結果的に“国を守る”という、本当の意味だと私は考えています。

会社の名前、お店の名前、サークルの名前、音楽グループの名前、それらに英語を使用しようがアルファベットを使用しようがそれが我々の意志による選択であるのと、英語しか知らず、アルファベットしか選択肢がないのとでは全く意味が異なります。

そう考えると、ウクライナ人が何を守るために戦っているのかが見えてくるはずです。

ここで一つ、現代の我々の手に委ねられている具体的な例を挙げてみましょうか。
昨今は女系天皇の話が出ていますね。
今のところ日本では建国以来1000年以上(神話の時代も入れると2600年以上)、天皇は男系で来ています。きっとそれを守るために先人たちは多くの血も流したでしょうし、多くの苦労もあったことでしょう。
天皇の血統についても色々と言う人が居ますが、もし生物学的に、例えばどこかでこっそり知らないオジさんの血が入っていたとしても、それはさして重要なことではありません。
大切なのはそれを頑なに守ろうとしてきた精神の方です。

男系天皇の件に限らず、昔からの日本の文化と伝統を捨てることの是非については、正直に言って私には良く分かりません。

ええ、分からないのです!

ならば、

もし是非の判別がつかないのなら上記の戦争の例のように、その判断は未来の子孫らに委ねてみてはどうでしょう?

と言うのが私の考えです。

つまり、先人たちがその責任を果たそうと必死に守ってきたものは特に理由がないのなら、取り敢えず守るのです。
何故なら、一度捨ててしまうとそちらの選択肢を取り戻すことは二度と出来なくなるからです。

先人たちが命がけで戦って守ってきたものを特に戦いもせず、これといった理由もなく、我々の世代が無為に捨ててしまうのはいかがなものでしょうか?
後世で子孫たちに”無責任世代”と恨まれる事は無いでしょうか?

つまり先人たちが我々のために命がけで守ってくれた選択肢を、我々も同じく未来の子孫に橋渡しするのです。


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