“願い” と “前提”


人間という生き物は、多くの理想や願いを持っていますよね。
例えば戦争のない世界や核のない世界。平和な世界、飢えのない世界、差別のない世界。
今ならカーボンニュートラルや、エコな世界が流行でしょうか。

たとえ現時点で実現される兆しがなくとも、願いを持つことはとても大切です。
多くの人々の願いや理想はそれが一つの指針となり、人類が向かうべき方向を指し示すこととなるからです。
そしてそれらの中には民主主義や“法の下の平等”の様に、長年をかけて実現された物も多くありますね。

それを知った上で、ここでとても重要なことを言います。それは、

「願いを持つことと、それを前提として振る舞ったりシステムを作ることは全く別である」

です。

例えば犯罪のない社会や泥棒がいない社会を強く願うあまり「泥棒なんて居ないのだからドアの鍵なんて無くしてしまえ」となってしまっては悲惨な結果が待ち受けていますよね?
当然ながら現時点ではその願いは実現されていないのだから、鍵は付けるべきでしょう。

これについては「そんなことは当たり前だし、分かっている」と多くの人が思うはずです。
ですが実際にはこれと同様の落とし穴にはまっているケースが多く見られるのですよ。
さて、私が何が言いたいのか分かりますか??

世界から戦争が無くなることへの強い願い。

だと思いましたか?
確かにこれも日本では怪しい部分があるかもしれませんね。戦争のない世界を強く願うあまり「日本は軍事力を持たなくて良い」的な論理展開をする人が昔は結構居ました。でも最近では少数派でしょう。

或いは、核のない世界への願い?

核の無い世界を願うのだから、まずは自分たち日本が先頭を切って核を持たないようにしよう。これは感情には何となく訴える物がある言葉ですが、論理的に考えると中身が無いことは 被爆国の義務とは? に書いたとおりです。


さて、上記の例は一部の人を除き、殆どの人は知っている事でしょうからわざわざここで私が言う必要もない話です。
それにぶっちゃけ知ったところで、内容的に我々一般人がどうにか出来るレベルの話でもありませんしね。
私が言いたいことはもっと身近にあり、且つ我々にコントロールが出来る事であるのに現代に於いては誰も口にしない内容です。
それどころか誰が決めたのかは知りませんが、とても重要な事でありながら“調査や議論をする事すらタブー”になっている気配がある物です。
さて、戦争の件でなければ私が何のことを言っているのか分かりますか?

まず以下に、二つの“願い”の例を私から問いかけておきましょう。

・ “男性と女性は同じ能力を持っているはずだ” という願い。

・ “親が離婚してもしなくても関係なく、子どもは全く同様に健全に育つはずだ” という願い。

当然ながら、どんな願いであっても願いを持つ事自体は自由です。ですが客観的な根拠も無く、それが正しい事を前提として振る舞ったりシステムを作ったりしていませんか?

私は上記の願いが正しいとも間違っているともここでは言わないことにします。皆さんがそれぞれに考えて答えを見つけてください。
因みに私が最も懸念しているのは、この様なテーマこそが一般人である我々や子供らにとって本当に重要な事であるにもかかわらず“議論はおろか、口に出す事すらタブー”としている社会風潮です。
それはまるで、太平洋戦争末期に「日本は負けるかもしれない」と言ったら全員から袋叩きに遭った様と良く似ているように見えて仕方がありません。(恐らく日本が戦争に勝つというのが、当時の人々の強い“願い”だったのでしょう)

きっとこれを読んだ皆さんの中にも脊髄反射的に反発する人も居る事でしょう。もちろん、私はそれを知っています。
因みに脊髄反射的に反発する人が居るのはなぜだと思いますか? それについても考えてみると面白いと思います。その答えは今回は書きません。

そして調査や研究はもちろん議論さえもせず、知らず知らずの間にこれらが正しい事が社会の前提となっていますね。
いつも思うのですが、これは一体“誰得”なのでしょうか?

さて、この件をあまり進めていくと炎上もそうですが、何となく虎の尾を踏む気がするんですよね。なのでこの話はこれで終わりにしておきましょう。
別に理系脳でなくとも冷静になって良く考えれば分かるはずなので、志ある方が解決してくれる事を願っています。


さて、最近少し続けて政治や社会系の記事を書いてみましたがいかがでしたでしょうか?
実は政治、社会系の原稿は、書くだけ書いて公開していない物がいくつかあるのですが、本稿も公開するかどうか迷った物です。

最近感想があまり頂けないので、宜しければこちらから(本稿に限らず)ご感想を頂けると嬉しいです。

 
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