親のリベンジをする子どもたち


秋元康という作詞家がいます。
美空ひばりさんの歌の詞から、昨今ではアイドルグループの楽曲を作っていることで有名だと思います。

ある日その秋元氏が、テレビでこの様なことを言っていました。

「子育てが、親のリベンジになってはいけない」

秋元氏が例えて言っていたのは、例えば「自分が甲子園に行けなかったから息子こそは甲子園に行かせる」、或いは「自分が宝塚に入れなかったから娘こそは入らせる」などと考える親御さんでした。
実際にその様な親御さんがたくさんいるそうですね。
もちろんこれは、野球や宝塚に限ったことではありません。
これが良いのか悪いのかは科学的に答えが出ないので私にはわかりませんし、恐らく答えなんてないでしょう。

ですが私は、

“親は子供のために生きてはいけない”

と考えています。
もう少し正確に言えば、”子供のためだけに生きてはいけない”、でしょうか。

自分の生きる理由や存在意義を見つけられない人が、子どもが生まれた後に子供のために生きようとするケースは結構あると思います。そしてそれを子供の前で口にすることも有るでしょう。
もし口にしなくても、ある年齢になれば子供には伝わってしまうと思いますしね。

では何故それが良くないと考えるのか。理由は”子供の選択肢を制限してしまう”事になりがちだからです。
自分の生きる理由が見つからないのは辛いことです。ならばそれを特定の誰かのためにしようと、誰かに投げてしまうことは実はとても楽な選択なのですよ。そうすれば自分が生きる理由について、深く考えたり悩む必要も無くなりますからね。
しかもそうすると実際に長生きしたりしますし。(この話は結構重要なものなので、後に詳しく書く予定です)

しかしながら子供の目線に立ってみたらどうでしょう?
自分の生きる理由は”自分の人生のみでなく、親の人生と生きる理由さえも背負い込む”ことになるのです。
もし子供が下らないことのために生きたならば、それはすなわち、親の人生も下らないものにしてしまいます。
真面目で良い子ほど、これはとてつもないプレッシャーになるでしょう。
そうなると子供は結局、親の期待通りの人間になろうとするはずです。

そうなると強く「〇〇をしろ!」と命じなくても、子供は何となく親の勧める通りの人選を歩むことが多くなると思います。
たとえ子供が自分で他にやりたいことを見つけていたとしてもです!
これは結構巧妙な、親による子供の人生のコントロールと言えるでしょうね。

或いは子供がまた自分の生きる理由を見つけられず、更に自分の子供にそれを託して……、といったことを繰り返すと、雪だるま式に子孫は大きなプレッシャーを背負うことになりますね。
そしてずっと先の子孫が極めて下らないことのために生きる、もしくは生きる理由がないと判断して子供を作らずに自殺でもしたら、それまでの全ての世代の人たちの生きる理由が下らないか、或いは理由なんて存在しなかったことになるのですよ、論理的に。
そうなると“利己的な遺伝子”(後述予定)の様な考え方が正しく思えてきたりするわけです。

だから私は個人的に反対なのです。

ですが間違えて欲しくないのは、親はある程度は子供のために生きることが必要だと思っています。
子供はきっとそれを愛情だと感じ、プラスに働くことでしょう。
しかしながら、”それが全て”になってしまってはいけないのです。

子供のために必要だと思うことはある程度やるとして、自分の生きる理由もそれとは別に見つけることが重要です。
それらをバランス良く配分して生きていくことが、親にとっても子にとってもきっと最も自由な選択ができて、幸せな人生になるでしょう。


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