キリスト教の原罪とは? その1


本サイトで取り扱う宗教は全体的に仏教が多めなので、久しぶりにキリスト教の話も書いてみましょう。

キリスト教の世界には“人は生まれながらにして罪を背負っている”という考え方があります。ええ、“生まれながらにして”、です。
日本人の感覚からすると、何もしていない生まれたての赤ん坊に罪が有ると言われても「なんで?」と感じてピンとこない人が多いのではないでしょうか?

この生まれながらにして背負っている罪のことをキリスト教では“原罪”と言うそうですが、この原罪は人類の起源であるとしているアダムとイブの罪にまでさかのぼるそうです。

旧約聖書の内容をとても簡単に言うと、アダムとイブは飢えも死も無い楽園(エデンの園)に暮らしていましたが、イブが蛇にそそのかされてアダムを誘惑して禁断の果実を食べたことが原罪になるのだそうです。
そして神の怒りに触れたアダムとイブは楽園を追放され、この地に来たと。
この地には死があり、また神の罰として女性には子どもを産む苦痛を与えられ、男性は生涯労働する苦しみを強いられることになったと、まあ簡単に言うとこんな感じです。

つまりこれは我々個人ではなく、人類そのものに罪がある様な考え方でしょうか。
だって生まれたばかりの赤ん坊は何も悪いこと何てしていませんから、これは“先祖の罪を延々背負う”ということになるでしょう。

「果たして死の存在や出産や労働が単なる苦しみだけなのか? 罰なのか?」
というディスカッションもあると思いますが、取り敢えず今回はその件は置いておくとしましょう。

ではこのキリスト教(とユダヤ教)の教えをメタフェイスを使って説明するとどうなるでしょうか。
果たして人類の「原罪」とは何なのでしょうか?

この原罪をメタフェイスの言葉で説明するならば、

ゲームの初期設定

となるでしょう。

以前にも少し書きましたが、我々の知る冒険系のコンピューターゲームの初期設定というのは、かなり困難な状況から始まることが多いですよね?
私が良く例に挙げるバイオハザードシリーズにしてもそうでした。

困難な状況というのは、具体的に言えば“解決しなければならない問題が多くある状態”と言い換えることが出来るでしょう。
バイオハザードの例ならばゾンビに囲まれた街から脱出するとか、その手のストーリーが多かったですかね。

ゲームに限らず漫画や小説にしても冒険系のものは始めはとても恵まれない状況や、困難な状況から始まるものが多いですよね?
何故って、その方がストーリーが面白くなるからです。

ならばこの世界がVRゲームと仮定したなら、人間は始めは困難な状況からスタートすることが最も自然だと考えられますね。もし始めから何もかも揃っていて解決する問題が一つもなければ、そんなものはゲームとして成立しません
キリスト教の教えをそのまま受け入れるならば、つまり死や出産の苦しみや労働の苦しみが存在する初期設定の困難な状況から、それらを解決していくことがこの世界のストーリーだと言えるでしょうか。

つまりいつの日か死が無くなり、出産が無くなり、労働する必要も無くなったときに、人類は元の楽園に戻ったと言えるのかも知れません。別の言い方をするなら、禊ぎを済ませて神の許しを得たと解釈することも出来るでしょう。
まあ私個人的にはそうは考えていませんが、それがキリスト教的な考え方なのだと思います。

即ちメタフェイスで言うところの、この困難な状況からスタートするゲーム上の初期設定のことをキリスト教では“原罪”と呼んでいるのだと解釈出来ます。

今回は原罪の話なのでこの辺にしておきますが、実はこの話はとても深い話なのですよ。
何故ならこの解釈が正しい、つまり死は悪だし、労働も無いに越したことはないという欧米的な考え方に染まっている人が多く居るからです。無痛分娩もその中の一つでしょう。
(実際にキリスト教社会では労働に対して否定的な考え方を持っている人が多く、働くことを喜びと感じている人は少ない。少し前に流行ったファイヤーなんてまさにそうでしょう。奴隷制があった国が多いのもそれが原因だという話も聞いたことがあります)

だから彼らは実際にテクノロジーを進化させ、ついには人間を超えるレベルのAIを作り、我々人類が本当に労働から解放される日を、私の言葉で言うところの“満腹パイ”の時代を近づけているわけです。ええ、何の疑いも無くそれが正しいと信じて……。

また人の寿命は延びる一方だし、更には脳の中身をコンピューターにアップロードして不死にするなんていうSFみたいな話まで出ていますね。今は荒唐無稽に聞こえますが、いつか本当に実現する時代が来るかも知れません。
でももしそんな日が来たならば、キリスト教的な考え方で言えば人類は原罪から解放されたと言えるはずです。

ではその時にキリスト教ではようやく神の許しを得たと解釈するのでしょうか?
アダムとイブの罪を子孫らが償い、やっと人類は無罪放免になったと解釈するのでしょうか?

その時代の世界は本当に楽園なのでしょうか? もしかして逆に地獄の様になることはないのでしょうか?

これは私にとって大きなテーマであり、メタフェイスを作る主たる目的であることは今までに述べてきたとおりです。

機械によって不老不死の体を、つまり永遠の命を得て、子どもは試験官で生まれ、労働すること無く永遠に遊んで生きられる時代。それが本当の幸福だと感じられるのでしょうか?
我々の脳はその様に出来ているのでしょうか?
まあその時代は脳の中もいじれる様になっていると思われますが、では究極的な問いとして、我々が触ることが出来ないもう一つ意識である”メタ世界の意識”はそう出来ているのでしょうか?

皆さんはどう思いますか?

因みにですが、エデンの園が何の不自由もないメタ世界であると考え、禁断の果実がVRゴーグル、蛇がメタ世界でVRゴーグルの装着を勧めた者、そしてVRゲームの世界を作ったマスタープログラマーが神だと考えると、妙に辻褄が合いますね。
そしてゲームをクリアすることが原罪を償うことであり、ゲームをクリアするとVRゴーグルが外されてメタ世界であるエデンの園に戻れると考えるとより一層しっくり来ます。

追々書いてきますが、実はメタフェイスはキリスト教とも親和性が高いのですよ。
でなければ上位互換の信仰にはなれませんからねっ。


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