満腹パイ


我々は“パイ”という言葉をよく使いますね?
「パイが決まっているから」とか、「パイが大きいから」と言った使い方をするパイです。
このパイの語源は、そのまま食べ物のパイであり、アップルパイのパイです。
パイを食料だけではなくお金を含めた人類が求めるあらゆる資源(リソース)だとすると、人類の歴史はパイを作ること、そしてパイの奪い合いと分配の方法を決める歴史だと言えるでしょう。

例えば従来の戦争や暴力はパイを奪い合う行為だし、政治はパイの分配方法を決めるための手法です。ええ、確かに人類はまだ不自由なままなのですよ。

一旦戦争は置いておくとしても、人は自分が食べるパイを作るための行為である労働と、皆が作ったパイの分け方を決めるための行為である政治から解放されていません。そして殆どの人はパイを得るために人生の殆どの時間を使っていると言えるわけです。
換言すれば人は有史以来皆、自分や自分の家族の分のパイを得るために生きているのです。

人類の歴史上、全ての人がこの不自由から解放されたことはありません。
ではもしも仮に解放されたなら、人は皆幸せになるのでしょうか?

その解放された時代のことを、パスカルの言葉を少し借りて仮に“満腹パイの時代”と名づけることにしましょう。これはつまり世界の全ての人のおなかを膨らますだけのパイが存在する時代という意味です。
この時代にはもはやパイの分け方を考える必要も無ければ、他人から奪い取る必要もありません。パイは全ての人に余るほど有るのですから。

イメージが湧かないかもしれないのでこの時代の状況を具体的に言うなら、人間の代りにAIを搭載した機械が全ての労働をしてくれて、人は皆毎月300万円のベーシックインカムが死ぬまで貰える時代と言えば良いでしょうか?
この時代に人がやらなければならないことは“生きていること”だけです。これはたいそう自由な世界ですね。

そこで“全ての人”とは言わなくとも、殆どの人がずっと幸せに生きていけるのならば私のプロジェクトなど必要ありません。
しかしながら、恐らく人間のというのはそうは作られていないのですよ。

ここでパスカルの著書、“パンセ”の中から一つ興味深い部分を引用してみましょう。

“人は屋根葺き職人だろうとなんだろうと、生まれつき、あらゆる職業に向いている。向いていないのは、部屋の中でじっとしていることだけだ”

うーむ、何やら深遠な言葉ですね。
部屋の中でずっとじっとしている人とは、現代の言葉で言うならニートのことでしょうか。

更にパスカルは、子供に勉強や習い事などのやらなければならないことを与え、常に忙しくさせておけと言っています。それが子供を不幸にするという考えは間違っていると。
もしも大人が子供からそれらを取り除いて自由にさせると、子供たちは自分を見つめ、自分が何であり、どこから来て、どこに行くのかを考え悩むことになると。
そしてその時に訪れる苦痛から子供を救うためには、子供たちを忙しくさせて、それらを考える暇がなくなるほど疲れさせるしかない、と言っています。
 
これについては私個人的には、言い得て妙だと思いました。
ある日。が来るまでの私は、部活に勉強にと正にそんな忙しい子どもでした。ところがある日。が来てからというもの、暫くの間、毎日ただ家の布団で寝ているだけの日々が続き、私も正に自分を見つめ、パスカルが言ったようなことを考えはじめ、そして吐くほど(笑)悩みました。
よって私はパスカルが言ったことについては少年時代に身をもって体験しています。
 
というより、現代に於いても本当に幸せなニートなんて居るのでしょうか?
恐らく殆どのニートの人たちは消去法でそうなっているだけで、幸福とはほど遠い状態だと思います。

続く……。

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