正しい宗教と間違っている宗教の見分け方


少しセンセーショナルなタイトルですが初めに断っておくと、宗教の世界は科学や理科系の世界と違い、明確に正しい、或いは間違っていると言えるものはありません。人それぞれ信じるものがあり、それぞれに正しいとも言えるでしょう。
実際に”信じる者は救われる”に書いた通り、どんな宗教であってもプラスの面はあるのでそれに是非を言うのは無粋というものかもしれません。

ですがそう言ってしまうと思考が停止して終わりですから、ここでは敢えて科学的に考えてみましょう。
一見、科学とは対極にあるものに敢えて科学的思考で挑む。それが本サイトのコンセプトでもありますからね。

宗教はどれも間違っていないと言いたいところですが、過去の歴史を見れば明らかに多くの人々を不幸にする宗教が有ったことも事実でしょう。
よって多くの人は、どんなカルトや新興宗教であっても全てが正しいとはなかなか思えないはずです。
だって宗教と名が付けば何でも正しいとしてしまうと、それこそ何でもありになってしまうので極めて危険ですからね。

そこで私は以下の点が当てはまる宗教は、間違っていると定義しています。と言うより、他に定義のしようがないのです。

1, 宗教の内部に矛盾があるもの
2, 多くの人々を不幸にするもの

まずは1について説明してみましょう。

矛盾の意味については不完全性定理の項に書いたので省略しますが、殆どの人間は矛盾しているものを気持ち悪いだとか、間違っていると感じる本能を持っています。
よってその教えの中に矛盾があるものは間違っていると感じるのがマジョリティーの判断となるでしょう。
そして決定的に重要なことは、内部に矛盾を持つものは科学との親和性が無いという事実です。これについてはまた後で詳しく書きますが、私は致命的な欠点だと考えています。

文系の人がよく使う「ダブルスタンダード」という言葉も“矛盾の一種”です。
宗教とはいえ、論理的に考えることを放棄してはいけません。もしそのラインを超えてしまうと、その先の道はもう完全に洗脳されて自由に心を操作される所まで連続的に繋がっているのです。
よって戻れるとしたら、この“論理”というラインがギリギリの所なのです。

論理と言うと難しく聞こえる人が居るかもしれませんが、実はとても簡単です。
例えば、

AはBよりも大きい。
CはAよりも大きい。


とします。

ならば、CはBよりも大きい。

これは誰もが納得する事実でしょう。
ですがもしもここで、

CはBよりも小さい。

と言うと、誰でもおかしいと思いますよね?
これが人間が本能的に論理的なものを正しいと思い、非論理的なものを間違っていると感じる証拠なのです。何も難しくありません。
でもよく政治系のニュースやマスメディアを見てみて下さい。こんな物だらけですよ。
だからテレビや新聞のニュースを見ていると理系人間はとても気持ち悪さを感じるのです。

ただし、中には上記のような論理矛盾があるものを気持ち悪く感じない人たちがいます。
それは、

“洗脳されている人”

です。本能に基づく論理的な判断を出来なくするのが洗脳なのです。
洗脳とは別に宗教に限った話ではありません。実際に国民全体が洗脳されていそうな国もありますよね?
よって論理的に考えることは、自分が洗脳されているかどうかのチェックとしても使えるでしょう。

さて、次に2についてです。

宗教というのは元々人々を幸福にするために生み出されたものだと思うのですが、不幸にしてしまっては本末転倒です。
中には、と言うか多くの宗教が信者だけを幸福にし、異教徒を不幸にするものであることは、世界史や今の社会情勢を見ていれば何となく分かりますよね。これについては何とも言い難いので正誤の判断は止めておきましょう。

ですが過去を見れば、中には異教徒だけでなく、信者自身をも不幸にする宗教だってあったはずです。
これは(教祖や一部の幹部以外)誰も得をしないので、宗教の役目を果たしていません。
よってこれも間違っている私は定義しています。

正解のない問題について、敢えて理系的な思考で考えてみるとこんなところです。


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