薬で強制的に幸福に出来るのか



さて、以前に人間が感じる幸福感は、脳内で分泌される脳内神経伝達物質の量と配分で決まると書きましたね。
それを決めているのが誰(何)なのかは解りませんが、もしも人工的に脳内神経伝達物質の分泌をすることが出来たらなら、強制的に幸福感を作れるはずですね。これはとても興味深いテーマでしょう。
なぜなら人は幸福感を感じた時に結果としてドーパミンが出るのか、或いは逆にドーパミンが出た時に幸福感を感じるのかの答えを出すからです。

結論から言えば、これは可能です。それも大昔から可能であり、人間はその手法を長年に渡り使ってきました。
今回は幸福感を生む脳内神経伝達物質の代表格で、快楽物質とも呼ばれるドーパミンに絞って話してみましょう。

結論から言いましょう。
人工的にドーパミンを放出させる方法は、“覚せい剤を打つこと”で実現できます。
ええ、確かに極端な話ですが、これは科学的に幸福を考える上では避けては通れない話なのです。

覚せい剤は脳内のA10神経と呼ばれるところに作用して、強制的にドーパミンを放出させます。
つまり覚せい剤を使えば“何の理由もなく”幸福感を得られるのです。
これは多量に摂取すればするほどドーパミンを多量に分泌できるので、量によっては最高の幸福感が得られることになりますね。

この幸福感を例えるなら、頑張って練習をしてオリンピックで金メダルを獲ったときの幸福感よりも、甲子園に出場できたときの喜びよりも、勉強して志望校に合格したときの幸福感よりも、愛する人と結婚したり子どもが生まれたときの幸福感よりも、ずっと大きな幸福感を”ただ注射を打つだけ”で得られるのですよ。

え? そんな話は信じられないって?
でもよく芸能人とかが捕まるじゃないですか。
ちなみに覚せい剤のせいで今まで積み上げてきた社会的地位など、人生を全て破壊してしまった人に「もしも明日死ぬとしたら、何がしたいですか?」と尋ねると、皆「最後に覚せい剤を打ちたい」と言うそうですよ。
にわかには信じられない話ですが、この話からも覚せい剤による幸福感は想像を絶するものだと推測できますね。

そして人間の行動原理が現状よりも幸福を求めるものならば、覚せい剤を使用する人はそれ以上の幸福がないわけですから、何も行動しなくなるはずです。
実際に覚せい剤使用者は食べることにも興味がなくなって痩せていき、何もする意欲がなくなるそうですね。
そして常用者ともなると、何よりも、どんな事よりも覚せい剤が大切になり、それを手に入れるためなら友人や恋人であっても裏切るし、借金でも犯罪でも何でもするようになるようです。(覚せい剤の作用には個人差があるようですが、(善し悪しは置いておくとして)これはある意味で覚せい剤はまだ不完全だからだと言えるでしょう)
(ただ性行為は同じドーパミン系の幸福感なので、覚せい剤と合わさることでとてつもない快楽を感じるそうなので、これは別なのかもしれません)

これらの事実からも、幸福を得ることが人間の行動原理であることが解ると思います。
そして何の努力も行動もせずとも最高の幸福が得られる薬を使うことは、究極の人生のチートと言えるでしょうね。
(チートとは“ずる”とか“インチキ”という意味で、元々はゲームなどで使われる言葉です)

だから覚せい剤は人間にとって脅威なのです。

ここでは覚せい剤に絞って話しましたが、他の薬物も作用するメカニズムが違うだけで同様です。
薬物ごとに幸福感の感じ方が異なるのは、上記の脳内神経伝達物質の量と配分が異なるからでしょう。
それ以外にも病院でもらう抗うつ剤などの向精神薬、あるいはタバコやお酒だって脳に対して似たような作用をします。

よってこれらの事実から、こう言えるでしょう。

「人間のあらゆる感情は、物質でできている」

と。

皆さん御存知の通り、覚せい剤などの違法薬物には必ず副作用があります
よって極めて危険なので使わないのが正常な人間の判断ですが、もしも医学や科学技術の進歩によって副作用のない覚せい剤が発明されたらどうでしょうか?
いえ、化学物質、つまり薬でなくても例えばA10神経回路に直接電気や磁気の刺激を与えることでドーパミンを出させる“電磁気覚せい剤”が発明されるかもしれません。

副作用が何も無いとなると、覚せい剤を使用しない理由が無くなってしまい、それは現在の覚せい剤よりもある意味で危険なものとなるでしょうね。だって、皆が使えば全ての人間の行動理由が無くなってしまうのですから。

でも中には薬物には必ず副作用が存在するという人もいるかも知れませんね。
ですが、例えば寝ている時に夢の中で楽しいことが起きてドーパミンが分泌される事もあるでしょう。これは、ある意味で脳が騙されていると言えます。
知っての通り夢はコントロールできませんが、もしこれがVR(バーチャルリアリティー)の世界ならどうでしょう?
CGで描かれたVRの世界で楽しいことが起きて幸福感を感じたら、おそらくドーパミンが出ているはずですね。
ですが、全てはCGで描かれたフィクションなのです。

VRでなくとも普通のゲームであっても、敵を倒したり何かをクリアすると嬉しいと感じるのだって、実在しないものに対してドーパミンが分泌されているのだから、これもある意味で脳が騙されていると言えるでしょう。

つまり、VRの世界で脳が騙されるレベルになると脳が現実と区別が付かないのだから、副作用など無いのです。
VRの世界なら、誰もが金メダリストやヒーローになれます。誰の夢であっても全て叶いますから、これは覚せい剤に近いものであると言えると私は考えています。

覚せい剤にしてもVRにしても、それ以上無い幸福感を感じるのですから、人間の行動原理がなくなり、人はずっとベッドに寝っ転がって覚せい剤を使用しているだけになり、何も動いたり働いたりしなくなりますね。

でもここで
「そんな事をしていたらお金が稼げないから餓死する。だから人間は必ず働いたり行動しなければならない」
と考える人もいるでしょう。

その指摘はとても正しいです。ただし、“現在においては”なのです。

よく自分の行動や生き方について、「楽しければいい」、「自分が幸せだと感じれば良いんだ」と言う人が居ますが、それらの人々の行動原理は論理的に覚せい剤には勝てないことになるため、極めて危険だと私は考えます。

なので自分が楽しければ良い、幸せなら何でも良いという考え方は、極めて危険なのですよ。
そして幸福感には必ず論理的根拠が必要だと私は考えています。

この話は重要なので、後に改めてゆっくり書きましょう。 


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