座頭市を演じる勝新太郎を演じる奥村利夫


以前、ロック歌手の矢沢永吉さんがラジオでこの様なことを言っていました。

「俺が死んで閻魔様(神様)の前に立ったときには絶対にこれを聞くね。『俺の演じた矢沢はどうだった?』って」

矢沢永吉さんは歌手でありアーティストですが、役者ではありませんね。それなのに死後に神様に会った時に「自分が演じた矢沢永吉はどうだった?」と尋ねてみたいと考えるのは、とても面白い発想だと思うはずです。
つまり彼は普段から”矢沢永吉”というアーティストを演じているということであり、それはライブ中であったり“誰かと会っている時には”という意味ではなく、きっと生き方そのものを演じているという意味でしょう。
一般にロックミュージシャンは私生活も破天荒な人が多いと言われていますね。

因みに皆さんにはこの感性が理解出来ますか?

他にも役者さんであれば、勝新太郎(かつ しんたろう)さんが似た様なことを言っていました。
“座頭市”という映画は比較的最近にビートたけしさんが演じたこともありましたが、何と言ってもやはり勝新太郎さんが演じたものが評価が高く有名なようです。

勝新太郎という役者さんは昭和の俳優で、私生活もとても豪快な人だったと言われています。
昔、勝新太郎さんが病気(ガン)になり記者会見を開いたことがありました。
そこで医師から酒とタバコを強く禁じられたので止めたと言いながら、その場でタバコに火を付けて吸い始めたという有名な逸話があります。



因みに記者会見が終わった後で勝さんは楽屋で激しく咳き込み、家に帰ってからもタバコを吸ったせいで暫く具合が悪かったそうです。そして妻である中村玉緒さんに「勝新太郎を演じるのも楽じゃない」と言ったとされています。
彼に言わせると、医師に禁止されたからといって素直に従うのは勝新太郎らしくなく自分のイメージに反すると考え、息が苦しいのに無理してタバコを吸って見せたそうです。

なるほど……、と私は思いました。
座頭市などの映画の役を演じると同時に、勝新太郎という一人の俳優を奥村利夫さん(本名)が演じているのだと。

この感覚は上記の矢沢永吉さんの話と見事に一致する気がしますね。もしかしたら勝新太郎さんも天国で「俺の演じた勝新太郎はどうだった?」と言っているかも知れません(笑)。

もしVR仮説が正しければ、このフィクションのゲームの世界で、全ての人がそれぞれ何らかの役を与えられていると考えることが出来ました。ええ、RPGやFPSなど多くのゲームのプレイヤーにそれぞれの役目がある様に。

だとすれば役を演じているのはなにも芸能人だけではありません。この世界に生を受けた全ての人には、もれなく何らかの役があるのだと私は考えています。
ごく普通の学生にしても会社員にしてもしかりです。実際に誰もが例えば夫の役や、父の役、子の役などを演じているのではありませんか?

そしてそれ以前に我々は日本人の役であり、男(女)の役です。更には2020年代の時代に生きる役です。
もっと言えば、乙武さんの様な障害者の役もあれば大谷翔平さんの様なスポーツマンの役もあるし、虐める役や虐められる役、陽キャの役もあれば陰キャの役もあるでしょう。
そう考えると、人はすべからく何かの役を演じているという私の解釈も納得がいきませんか?

ただし矢沢永吉さんや勝新太郎さんが幸せなのは、天職とも言える正しい自分の役を見つけることが出来たところでしょう。


好きなことを仕事にするべきか、得意なことを仕事にするべきかにも軽く書きましたが、孔子の言葉にこの様な物があります。

”朝に道を聞かば夕べに死すとも可なり”

ここで言う“道”とは一般に道理や悟りとされていますが、VR仮説を使ったメタフェイスで言うならば“道”とはゲームの中の役のことでしたね。

つまり上記の孔子の言葉をメタフェイスを使った現代語に言い換えると、“もし明日の朝に自分の役を見つけることが出来たなら、その日の晩に死んでも悔いは無い”となるでしょう。
それ程までに自分の役を見つけることは難しく、そして見つけられたら幸福だということです。

もしあなたが何となく生きにくかったり閉塞感を感じていたり、或いは自己肯定感が持てなかったり幸福を感じられなかったりするとしたら、その理由は実はとてもシンプルです。

単にあなたが自分の役をまだ見つけていないから

です。ええ、ただ“それだけ”なのですよ。

因みにこれについては私自身の経験上からもそうでした。私が自分の役を見つけられたと感じたのは今からちょうど十年前であり、私もそれまではたいそう生きにくく、自己肯定感も持てず苦しかったものです。
しかしながら自分の正しい役さえ見つけてしまえば、それ以外のことは人より劣っていようが上手く行かなかろうが、たとえ誰かから見下されようが、全てはアブクの様な物なのです。

但し、その役を見つけることは孔子が言う様になかなか難しいのですよ。よって恐らく自分の役を見つけることなく死んでいく人も多く居ることでしょう。
逆に言えば、自分の役を見つけられた人はたとえ短命であったとしても、それだけで幸福度が高いのです!
ええ、それこそ「その日の晩に死んでも良い」と思えるほどに、です。


少し話が逸れますが、まだ暑い季節なので一つ戦争の話でもしてみましょう。
以前、私は神風特攻隊の記録フィルムを見ていたときに、これから出陣する兵士の多くが微笑んでいたことに驚きました。それも洗脳された者が見せる不自然で気持ちの悪い笑みではなく、私には心の底からの微笑みに見えました。
え?それはカメラで撮られているからだって?

若い方はご存じないかも知れませんが、戦時中に軍の慰問をしていた歌手の淡谷のり子さんも同様のことを言っていたので、きっとこれはカメラに撮られている事とは関係なく本当の話だと思います。
 

フルバーション

平和な時代の人たちからすれば、笑顔で特攻に行った彼らはキチガイだの洗脳されていただのというのが従来の解釈ですが、もしかしたら彼らは若くして自分の役を見つけることが出来たことを喜んでいるのではないか?と私は考察しました。
実際に神風特攻隊員が残した手紙を読むと、どう考えてもそう解釈するしかないものがあるのですよ。

特攻は必ず自分が死ぬのですから、その行動が自分の利益のためであったり、私利私欲のためであることは論理的にありえません。
つまり特攻はすべからく自分以外の誰かのための行動です。
まあ、この件については皆さんの解釈にお任せするとしましょう。


さて、話を戻しましょう。

明らかに誰でも判るほどの特殊な才能を持って生まれたなら自分の役を見つけることは容易かも知れませんが、知っての通りそんな人はごく一部です。
殆どの人は特別な才能など持っていません。

もし自分が何か得意なものを持っているのなら、それを第一の参考にするのが良いかも知れませんが、それ以外に自分の役を知る方法はないのでしょうか??

もちろん、あります。

続く……。


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