アボリジニに学ぶ“幸福”の定義


オーストラリアの先住民族である”アボリジニ”の存在は皆さんも知っていると思います。
大分昔のことですが、深夜に海外(確かイギリスだったかな?)のテレビのドキュメンタリー番組で、アボリジニを密着取材したものが放送されました。
その中で印象に残ったシーンがあったので紹介してみましょう。

現在のオーストラリアは知っての通り白人の国となっていますが、元々はアボリジニしか住んでいませんでした。

ヨーロッパ人による先住民族の迫害と虐殺の歴史は世界中で耳タコの話なのでここでは細かい話は省略しますが、歴史を辿ればアボリジニ達がヨーロッパ人に住居を追われて過酷な土地での暮らしを強いられたことがありました。

そしてドキュメンタリー番組が放送された当時、近代的な暮らしを拒否し続けているあるアボリジニの部族を取材して、テレビのインタビューアーが部族の長老にこんな質問をしました。

「あなた達は今、幸せですか?」

と。これはとても白人らしい質問ですね(笑)。

すると長老はこう答えました。

“幸せ(Happy)”という言葉は白人が持ち込んだ言葉で、我々の言葉には存在しない。
我々の言葉で“幸せ”を強いて言うとしたら、「皆がニコニコ笑っている」だろう

と。

この言葉は若かった私の心に深く染み入ったことを覚えています。
だって幸せの定義は、私が探していた4つの問いの答えの一つでしたからね。そして当時、幸福を含む問いを探究していた当の自分がずっと笑っていなかったことに気づき、たいそう参考になったことを覚えています。


私はいつも言うのですが、

本当に幸せな人というのは幸せそうな顔をしているものです。

そうでないのに「私はとても幸せなんだ」と言っている人は洗脳されている可能性があるでしょう。

最近でもネット動画を見ていたら、とある宗教団体に多額のお金を寄付して、財産を失い、借金が増え、そのせいで家族が離散して苦しんでいるのに本人は「とても幸せだ」と言っている中年女性が居ました。

しかしながら大体のケースではその人の顔は笑っていません。まるで自分に言い聞かせる様に「私は幸せなんだ」と言っている様に私には見えました。
そして言うまでもなく、家族などの周りの人も誰一人として笑っていませんね。


ここでアボリジニの長老の言葉を思い出すと、長老は「自分が笑っている」ではなく「皆が笑っている」と言っていました。
これはとても深い言葉で 釈迦やキリストの言葉 に近いものを感じませんか?

逆に白人が持ち込んだ”ハッピー”という言葉は自分の感情だけを表わすものではないでしょうか? だから、例えば麻薬を使った時などにもに「ハッピーになる」という表現を使うのでは?

もしかしたらアボリジニには“自分だけが幸せになる”という概念が無いのかもしれませんね。
そうだとしたなら、アボリジニはずっと昔から真理に近いところに居たのかも知れません。


さて今回、私が一体何の話をしているのか分かりますか?
自分が幸せだと思っているあなたは最近笑っていますか?

もし分かる人が居たら是非、アンケートフォーム から教えて下さい(笑)。


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