”人の役に立つ事”の定義


幸福について先人たちの知恵に学ぶ に書いたとおり、人は誰かの役に立たなければ本当の幸福感など得る事が出来ません。
無目的だったり自分だけのために生きていては本当の幸福感は得られないのです。
それを科学的に証明するにはもう少し時間が掛かりそうですが、きっとそれが人間の仕様なのでしょう。

よってそれが出来ない人は、酒やタバコやギャンブル、今ならゲームなどによって幸福物質であるドーパミンを直接出すチートを使うことになるのですよ。その最たる物が覚醒剤などのドラッグでしたね。
(言うまでもなくこれらは全てに副作用や依存性があり、最終的には身を滅ぼします)


ならば正攻法である“誰かの役に立つ”だとか“誰かのために生きる”とは、具体的に定義するとどういう事になるでしょうか?
これらは誰かのために

“何らかの問題を解決することである”

と換言できます。
何故なら、この世界は何もしなければ死んだり不幸になるように出来ているからです。
例えば人は何もしなければ餓死するし、冬は凍死するし、獣や悪人に襲われるし、病気になるし……、と言った具合に何もしなければ人間は生命を維持出来ませんし、当然ながら欲しいものも手に入りません。
つまりこの世界はデフォルトで問題だらけなのです。よってこれらの問題を解決する事で人は生きられるし、幸せになる事が可能になります。

なのでこれらの問題を自分以外の誰かのために解決する事が、”誰かの役に立つ”という事になるでしょう。
例えば誰かの空腹を満たすとか、危険から守るとか、欲しいものを手に入れるとか、その他諸々です。
では全人類が解決しなければならない問題を一切持たない、満腹パイの時代が来たらどうなると思いますか?

そうなると人はもう誰も、誰かのために生きることなど出来ません。何故なら解決すべき問題など、いくら探せどもうどこにも無いからです。
例えば満腹パイの時代には妻も子どもも、あなたが何もしなくても解決すべき問題などは既に無く、マックスに幸せです。
極端に言えば、あなたなど居なくても十分に幸せなのです。

その時代こそがパスカルが言っている“部屋でじっとしている人”に、全ての人がなる時代なのですよ。
きっと私が少年時代に経験したように、皆が「自分は何のために生きているのか?」「自分はそもそも何者であり、なぜ存在しているのか?」などと悩んで頭がおかしくなることでしょう。
この時代には全ての人が完全に自由ですが、その時には幸せどころか地獄の苦痛を味わうことになるはずです。
多くの先人らや我々の世代の人間が、様々な問題を苦労して解決した末にそうなるとは何とも皮肉な話ですが、きっとこれが人間の性であり、脳の仕様なのでしょう。

さて、ではそんな満腹パイの時代にチートを使わずに幸福感を上げるためにはどうしたら良いと思いますか?
例えば我々や我々の子孫らがAIやコンピューター、その他のハイテク機器を全て禁止にして昔の文明レベルに戻すことが出来ると思いますか?
いいえ、きっと 我々の社会はどこに向かっているのか?に書いたとおり、人間は合理化の道を進むことは出来ても引き返す事は出来ないと私は考えています。実際に我々はもう、スマホさえも手放す事が出来ないですよね?
よって未来人にもこの道を戻るという選択肢は無いと思われます。

もし文明レベルを昔に戻せば、また他の危険が出てくることを我々は知っています。さすれば人々は飢えや戦争や病気、その他諸々の悩みの種に再び襲われることになるでしょう。
では文明レベルを昔に戻さないとしたら、未来人はこの問題をどう解決すると思いますか?

因みに今でもスリルや興奮を味わうために戦争に行って戦ってみたいけど、本当に死んだり怪我をするのは嫌だという人ってたくさん居ますよね? きっとそういう人たちは戦争ゲームで擬似的にそれらを味わっていることでしょう。ゲームならば実際に危険に遭う事はなく、そのスリルだけを味わう事が出来ますからね。
これが重要なヒントです。もう分かりましたね?

答えは簡単です。きっと未来人はコンピューターゲームの中にわざと不便な世界を作り、そこで仮想的にプレイして解決しなければならない問題を解決することで本当の幸福感を得る事が容易に想像できます。
そうすればリアルの世界のようにガチで殺されたり餓死することはありません。正に戦争ゲームと同じです。
現代のRPGやアドベンチャーゲーム等、ゲームの多くが中世など今よりも不便な時代をモデルにしているのは、解決しなければならない問題が現代よりも昔の方が多く、ゲーム性が高まるためでしょう。

もちろん、これがゲームだと認識してプレイしていては本当の幸福感を得ることなど出来ません。ならば未来人はきっとVRを更に進化させた物を使うことでしょう。きっと未来のゲームは現実と完全に区別がつかないほどにリアルなゲームとなるはずです。

更に没入感を上げるためにゲームの世界に入る前に記憶を消して、プレイ開始と同時に意識を戻せばまるで物心がついたばかりの子どもから人生を始められるようなゲームにすることだって可能になることでしょう。
 
満腹パイの時代にチートを使わずに本当の幸福感を得るとしたら、これも一つの解決策だと思います。
さて、ここまで思考を進めてくると私が何が言いたいのかがもう分かったかもしれませんね。
 

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