未来の経済を決めるもの 後編
続きです。話を戻しましょう。
では現在の日本で、経済力の上限値を決めているのは何だと思いますか?
上限値とは「潜在的な経済力」とでも言いましょうか。これは政治や金融政策を抜きにして、純粋に日本国民が持っている経済力の潜在能力を決める要素です。
それは
「生産能力」
だと思います。はじめにお金とは人間の労力のことだと言いましたね? ですがそれは無限ではありません。
例えば全ての国民が毎月、自動車を新車に買い換えようとしても、生産力が追いつきません。
同じく全ての国民が毎日美容院に行こうと思っても、サービスが追いつきません。
食料や他のモノやサービスについても同様です。
つまり「国民の消費能力の限界値よりも、生産能力の限界値の方が先に訪れる」のです。
乱暴に言えば「お金は使うよりも稼ぐ方が大変」といったところでしょうか?
これが有史以来続く、経済の姿だと思います。ですが特に産業革命以降、人間は機械の力を借りて生産力を何倍にも増やしてきましたね。
これが仮に人口が変わらなくてもGDPが増え続けてきた理由です。
蛇足ですが、GDPが増え続ければ国債の発行量もそれに応じて増え続けるのが当たり前です。
社会に流通する貨幣の量を増やす方法は銀行から借金するか、国債を発行するかのどちらかしかありません。
貨幣とはエンジンに於ける潤滑オイルの様なものです。エンジンが大きくなれば当然、オイルも増やさなければエンジンが動きません。
よってGDPが増えれば国債の発行量が増えるのが当たり前なのですよ。
よって(赤字)国債を減らすとかプライマリーバランス黒字化とか言っている人は、エンジンが昔より何倍も大きくなっているのに潤滑オイルを抜き取って「昔の小さいエンジンの頃と同じ量にしろ」と言っているのと同意なのです。
そんなことをすれば当然ながら生産力が落ちて経済は減退し、国が貧しくなります。
さて、ではメインテーマに入りましょう。
果たして満腹パイの時代の経済はどうなるでしょうか?
現在までの国内の生産力というのは、機械や道具を使うにしても国民の労力の総量によって決まりましたね。ですが満腹パイの時代には、AIを搭載した機械の労力の総量で決まることになります。
私は現在のAIの性能とその進化スピードから、その量が人間と比べて数千倍から数万倍になると予想しています。
つまり
人間の消費がとても追い付かない程の生産能力になる
と予想しています。極端な話、全国民が毎月新車を購入しても余るほどの自動車を生産できる可能性があるのですよ。
或いは、全ての国民が毎日5kgのお米を食べられるだけの米の生産も可能になるかもしれませんし、全ての国民が1時間おきに美容院で髪を切れるだけのサービスを提供出来るかも知れません。ですが人間はそんなに食べられませんし美容院にも行けませんよね?
つまり「この時代の経済を決めるのは生産能力ではなく、国民の消費能力の方になる」と私は予想しています。
よって現在のような「デマンド・オン・サプライ」ではなく「サプライ・オン・デマンド」になるのです。
この時代にはベーシックインカムの導入どころか貨幣すら存在していないかもしれませんが、もし現在と同じようにお金とその仕組みが存在していたなら、国債の発行量はとんでもない量になっていることでしょう。
ですが当然ながらインフレにはならず、何の問題も起きません。圧倒的に供給(能力)過多なのだから、物価が上がりようが無いのです。
以前から言っているように「国債の発行量を増やすと子孫がそのツケを払わされる」とマスコミは言っていますが、実際にツケを払うのはAIを搭載した機械です。(実際にはツケを払うことすらないのですが……)
そんな未来が来ることが既に決まっているのなら、現在に於いても国債を極端なインフレにならない程度にいくらでも刷れば良いことになります。
最後にもう一度言っておきます。未来に於いて経済力を決めるのは生産能力ではなく、人間の消費能力なのです。
生産と供給はAIのおかげで無尽蔵ですが、我々生身の人間には物理的な限界があります。我々には睡眠時間も必要だし寿命もあるし、活動の限界があります。
例えばAIによって毎日100万冊の本が出版されても人間は読むことが出来ませんよね? またはAIが1億ページある小説を書いても人間は寿命の間に読むことは出来ません。ですがどちらの生産もAIにとっては容易なことなのです。
映画やテレビ番組も毎日100万本作られるかも知れませんが、人間には見ることが不可能です。
なので我々は生産よりも、たくさん消費するための勉強と訓練を今からしておく必要があるでしょう。
今回の内容はあまりインパクトがなかったかもしれませんが、とても重要な上に誰も言っていない内容です。
未来の経済のアッパーリミットを決めるのは、人間の労働力ではなく消費能力なのです。
乱暴に言えば今後訪れるのはお金を稼ぐことではなく、使うことに苦労する社会です。
最後に付け加えるなら、今はその時代に向かう過渡期なのに、ずっと緊縮財政をしている日本の政策は「愚の骨頂」でしょう。
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