幸福とは何なのか?


1,幸福とは何なのか?

答え:

自分の役を正しく知り、自分以外の誰かのためにその役を正しく演じ、そしてその相手の人らから感謝された時に得られる満足感のことです。

幸福感の質、量、継続する期間の全てに於いてこれを上回るものはありません。
(昨今の流行語、“ウェルビーイング”はこの的をややかすめていると思います)


これが”4つの問い”の最後ですね。では解説しましょう。

”幸福とは何なのか?”という問いは、ある日。に書いたとおり私が思索の旅に出た際の第一歩目の疑問でした。なのにその答えが出たのが4つの問いの中で最後だというのも面白いですね。

幸福については釈迦やキリストの話など、今までに多く書いてきましたね。そして多くの宗教が最も多く言及していることの1つが幸福についてではないでしょうか??

人間の根源的な行動原理だけあって、幸福の定義はとても難しい問題です。
人はどのような時に幸福を感じるのかや、どのような脳内神経伝達物質が幸福感を与えるのかについては良く知られていますが、では”幸福とは何なのか?”と問われたときに、その答えの定義はとても難しいと思われます。
もしもVR仮説が無ければ私にも不可能だったかもしれません。

では順を追って説明していきましょう。
“人はどのような時に幸福を感じるか”については、原始時代から十分に良く知られていた事でしょう。
例えば美味しいものを食べた時、好きな異性と結ばれた時、欲しいものが手に入った時、自分の子どもや孫が生まれた時、よく眠れた時などに人は幸福感を得ることが多く、これらは現代人であっても大差はないでしょう。
ですがこれらは単なる経験則であって、幸福自体の定義ではありません。

そして時代が進むと経験則の次のステップとして、「人間が幸福を感じている時には脳の中で何が起きているんだ?」と考える科学者が出てきたわけですね。これは原始時代と比べるとずっと最近の事です。
昨今では脳科学を始めとした医学の進歩により、これについては良くわかってきましたね。

現在ではドーパミン、セレトニン、オキシトシン、エンドロフィンを主とした脳内物質の放出量と配分でどうやら幸福感が決められている事が分かってきました。
実を言うと私は、これらが放出されると幸福感を得られるのではなく、幸福感が得られている時にこれらの脳内神経伝達物質が放出されているのではないか?と順番を逆にして考えた事もありましたが、この仮説を打ち砕いたのが薬の存在です。

薬で強制的に幸福に出来るのか に書いたとおり、覚醒剤などのドラッグによって何の理由もなく強制的に幸福感が得られるのですから、これは私の仮説とは明らかに矛盾します、つまり間違いです。
因みに私は15歳の頃から向精神薬を飲んだ経験があったので、薬によって気分が大いに変わる事を知っていました。よって既にその頃には、人間の感情というのは物質的なもので出来ているのだと思っていました。
そう、まるでパチンコの玉のように飲んだ薬の分子が脳の中であちこちに作用して気分を変えているのだと。

話を戻しましょう。脳内神経伝達物質は確かに人間に幸福感を与える物質ではありますが、幸福そのものではありません。
脳内神経伝達物質について私が一番疑問に思ったことは、「よし、今ドーパミンを放出せよ!」と決めているのは一体誰なのか?といった事でした。
誰というか、脳の中の部位なんでしょうけどね。結局のところ幸福感というのはその部位のさじ加減一つで決まる事になり、即ちその部位が自分の意思とは無関係にその人の全ての行動を決めていると言っても過言ではないでしょう。

ならば脳の中のその部位が独立した意思でも持っているのでしょうか?

これについてはVR仮説を使わなければなかなか答えが出ないと思います。
では次にVR仮説を使って幸福の正体に迫ってみましょう。

当然ながら人間の脳の中の“ドーパミンを出すかどうかを決めている部位”だってプログラムコードの一部です。そして人間の行動原理は幸福感に基づくものなのだから、人間が正しい行動をした時に幸福物質を放出するようにプログラムされているはずです。
要するに幸福感とは、いわば人間に行動させる方向を指し示す矢印のようなものなのです。

ここで「え、正しい行動って何?」と思った人がきっと居るはずです。
では人間にとって正しい行動とは一体何なのでしょうか? その答えはとてもシンプルです。

即ち、

人類をゲームクリアに近づける行動

です。そして ゲームクリアの場所とは“全ての人が最大限に幸福になる事”でしたね?
よってそのための行動こそがあらゆる行動の基本方針となるはずです。そして人間の行動の方向を決めているのは幸福感なのだから、即ちあらゆる行動の究極的な目的である“ゲームクリア”のための行動をすることが正しい行動の定義であり、その行動こそが幸福に深く関係しているはずです。

つまり

その時に感じられる幸福感が最も高くなる

ように、マスタープログラマーによって設定されている事が予測されます。

“正しい行動”の具体的な内容は当然ながら人それぞれに異なります。即ちその人が質と量の両面から見て最も多く人類の幸福レベルを上げられる行動をした時に、最も強い幸福感が得られるであろう事は容易に想像できますね。
そして、これらのやるべき正しい行動は人それぞれに異なるため、その違いの事を私は“役”と呼んでいるわけです。ええ、意味は演劇をする役者の“役”と同じです。(私の言う”役”は孔子の言葉で言うところの”道”と同意でしょう)

つまり自分の役を知らなければ最大限に人々の幸福レベルを上げることが出来ないので、自分の役を知る事が大切だと言っているのですよ。文字通り人の“役に立つ”ために。

そして次に自分が最大限に人々の幸福レベルを上げられるように行動すること、つまり自分の役目をこなすことのことを、“正しく自分の役を演じる”と私は表現しています。
そして人のために行動した結果として感謝されるという事は自分の行動が正しかった証拠であるから、そのご褒美として最大レベルの幸福感を感じる(脳内神経伝達物質が出る)ように我々の脳はプログラムされているはずです。
ならば当然、これからもまた同じ行動をし続けようと思うからです。

これがVR仮説に基づく”真の幸福”の定義です。
もちろん知っての通り人間は他の事でも幸福感を得ることが出来ますが、乱暴に言うと

他の事で得られる幸福感は“たかが知れている”

のですよ。
つまり究極的にはこれが最大の幸福となるでしょう。

この内容は釈迦やキリスト、または孔子が言った事と同じかもしれませんが、メタフェイスを使えば経験則ではなく科学的根拠を持って彼らの言葉が正しかったと言えるでしょう。


さて、ここできっと「人のために行動せよと言うが、自分や自分の子どもの食べる物も無く餓死しかけている時に赤の他人の事なんて考えられるか!」という意見を持つ方も居るはずです。
それはとてもまっとうな意見です。自分がいっぱいいっぱいで余裕が無い時や激しい苦しみの中にいる時に、他人の事なんて考えられないのは当たり前です。もちろん、私だってそうでしょう。

衣食足りて礼節を知る

という言葉があります。これは現代の言葉で言うなら、”自分の衣食住の心配が無くなってはじめて、礼儀や節度をわきまえる事が出来る”といった意味でしょう。
これは幸福についても同様です。自分が最低限の幸福な状態でなければ、他人の幸福など考える事は出来ません。
そして現代の社会に於いては全てとは言いませんが、殆どの人がこの要件を満たしていないのが現状です。だって殆どの人は仕事が好きと言うよりも食べるため(生活のため)に働いているし、また何らかの解決しなければならない問題を抱えていませんか?

そうです。今回書いた話というのは実は、既にAIを搭載した機械によって人間が労働から解放される、満腹パイに近い時代の話なのですよ。
忘れた方も居るかもしれませんが、そもそもメタフェイスを作る主目的は満腹パイの時代に人々を襲うであろう精神的スランプから救うことでしたね。
パスカルはその解決策としてキリスト教を提案しましたが、私はその代りとなる新しい信仰を作るべきだと言いました。

よって今回の話は幸福の話の中でも究極的な話であり、ある程度自分の心配をしなくて良いレベルになってからの話なのです。
これを有名な”マズローの欲求5段階説”(私は特にこれを支持しているわけではありませんが)で強いて言うなら、第5段階以上の話だと捉えると分かりやすいでしょう。

つまり、人として健全に生きる上で最低限の状態をクリアしている人が、更にそこから幸福度を上げるための方法なのですよ。

しかしながら中には自分が恵まれていないのにもかかわらず、他人のために行動して自分の幸福度を上げる者が居ることも確かなのです。
個人的には特に日本人にはこの傾向が強い気がしますかね。この話は少々難解なのでまた改めて書くとしますが、もしかしたら彼らは既に真理に近い場所に居るのかも知れません。


最後に余談ですが、、、
現在の生活に特に不満も不便も、またこれといった問題も無いのだけど、何となく幸福が感じられなかったり原因不明の虚無感を抱えている人はいませんか?
或いは宝くじに当たったりビジネスに成功して大金持ちになり、欲しい物、例えば贅沢な家や高価な車やトロフィーワイフなどを全て手に入れたのに、今一幸福感が高くない人もきっとたくさん居るはずです。
そして、その人達は”一体自分には何が足りないのか?”が分からず考え込む事が往々にしてあることでしょう。

答えは簡単です。そんな時は自分以外の誰かのために何か行動をしてみて下さい。特にお金がある人ならば、普通の人よりも大きな影響を与えることが出来るはずです。

さすればきっと、足りなかったものが手に入るでしょう。

さもなくば、かつての王様達が行った様に贅沢三昧をし、更には不老不死を求める様な愚行に走ることになりかねません。
これらの行動について私は、”王様シンドローム”と名づけています。
当然ながらこれらの行動はゲームクリアから遠のく方向なので、本人の幸福度は下がる一方です。
実際に自らの贅沢ではなく、民のために生きた王の方が本人の幸福度は高かったそうですね。


幸福が人間の行動原理である以上、人類がゲームクリアに近づくための行動をした時に最大の幸福が得られることをくれぐれも忘れないようにして下さいね。


この様にVR仮説を使うと、驚くほど全ての問いに綺麗に答えが出ます。
人類1.0の”4つの問い”に対する答えは、取り敢えず以上としておきましょう。

長く続いた”4つの問い”の答えについて、良ければご感想を下さいね。


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