なぜ物質が存在するのか?


3,なぜ物質が存在するのか?

答え:

この世界はコンピューターで作られたバーチャルな存在なので、私がこの問いを考えた時点での唯物論的な意味での物質は、“存在しません”。


では始めに”3の問い”について解説しましょう。

究極の問い(前編)に書いたように、この疑問を考えた時の私は地球や人間や自分の存在理由を物質に求めていました。つまり全ての理由は“物質が存在するから”だと考えていたわけです。

この疑問は”1の問い”と”2の問い”、つまり「幸福とは何なのか?」と「人は何のために生きているのか?」の次に考えた問いであり、後から振り返るとこの問いは15歳の少年ならば誰でも考えるであろう1と2の問いを哲学や宗教ではなく、はじめて科学に結びつけた問いとなりました。

そして既にこの時に私は、その答えを知るための手法として他のどれでもなく科学を選んでいたのだと思います。
それがどうしてなのかは自分でも良く判りませんが、きっとそれまでの知識や経験、そして性格から来るものだったのだと考察しています。
また哲学や宗教については小中学校では習わない事もあり、良く知らなかったことも大きいでしょう。

何れにせよ、この”3の問い”は私が科学の方向に大きく舵を切ったという意味ではとても重要な問いとなりました。

15歳の私は科学の知識として、この世界の万物が原子から作られていることを学校の理科の授業でも習っていたし、科学系の本からも知識を得ていました。つまりもしも物質が、つまり原子が存在していなければ自分も人類も地球も存在していないと考えたわけです。
ならば物質が存在していなければ、幸福や生きる理由について考える自分自体が存在していないことになるでしょう。よってこの問いは人間にとって最も根源的な問いだとその時は思ったのです。

しかしながら後に量子力学を知り、更に超弦理論を知った時点で既にこの考えは消えていました。

今までに書いてきたとおり当時の私は物質が脳を作り、脳が自分の心を作っていると考えており、この言葉を知るのは後になってからでしたが典型的な”唯物論者”でした。(これを仏教用語で言うならば”仮観”でしょうか)

しかしながら量子力学を学ぶにつれ、実は 物質が心を作っているのではなく心が物質を作っている のではないか、と早々に気づくことになりました。
そして物質というものの存在は、極めて曖昧であやうい物なのだと考える様になったのです。
これを少し乱暴に言うなら、もし人間が存在しなければ物質は存在しないのではないかと当時の私は考えたのですよ。

量子力学ではあらゆる物体は人間が観測するまでは状態が決まっていないとしていましたが、これをVR仮説を用いて説明すると、あらゆる物体は人間が観測するまでは 未計算 でしたね。未計算ということはまだレンダリングされていないので、我々の日常的な感覚で言うならば”存在していない”という表現が最も近いでしょう。

よってもしこの宇宙に人間が存在していなければ(観測者がいなければ)あらゆる物質はずっと未計算のままなので、”存在していない”と言えることになります。(と言うより人間がいなければきっと”この宇宙”という名のVRゲームのスイッチが入れられることはないでしょう。ならばこの宇宙の中の物質は本当に存在していませんね)
そうなると量子力学からもVR仮説からも”物質は人間抜きの単体では存在していない”と表現出来るでしょう。


次に 超弦理論 から導いた答えについて述べてみましょう。

現代の物理学によると、物質は原子から構成され、原子は素粒子から構成され、更にあらゆる素粒子はどうやら超弦から構成されているようです。(光の様な原子以外の万物も、全ては素粒子から作られています)
しかもその超弦と呼ばれる”ヒモ”は プランク長 以下のサイズの10次元以上のヒモであり、その振動パターンの違いのみで様々な素粒子が作られているというのが現時点での超弦理論の説明です。

つまりどこまで物質を拡大していっても物質の正体に出会うことはなく、これらは全て(振動の)情報だと言えるでしょう。この件については今までに詳しく書いてきたので良いですね?

因みに今回の”3の問い”に対する答えが”4つ問い”の中で一番はじめに出た答えです。
この答えに至った95年当時の私は“情報”とは言わず“概念”と言っていましたが、まあどちらも同様のものです。
当時の私はVR仮説には至っていなかったので、物質とは人間の意識が作り出している概念の様なものだと考えていました。
つまり”人間の意識がなければ物質は存在できない、よって唯物論的な意味での物質は存在しない”という結論でした。


さて、”3の問い”に対する答えは以上でも良いのですが、ここで超弦理論を元にして更に物質の正体について考えてみましょう。
いくら厳密には実在しないと言われても、少なくとも我々には物質が有る様に見えます。これについてはどう捉えれば良いのでしょうか?

具体的に言うなら物質とは、

“実在はせず機能だけを与えるもの”

です。
そしてその機能の事を、我々人間が色々な概念として捉えているのだと95年当時の私は考えました。
因みにこの考え方は、仏教用語で言うところの“中眼”に似ているかも知れません。

しかしながらこの従来の言葉を使った説明で、普通の人がハッキリと物質の概念をイメージして腑落ちするレベルで理解することはきっと難しいと思われます。
そこでVR仮説の出番となるのですよ。

ではこの、“物質として実在はしないが機能はある”という考え方を理解するために、VR仮説を使った分かりやすい例を一つ挙げておきましょう。
まずは我々の知る3Dゲームを一つ思い浮かべてみてください。今回はFPSと呼ばれるジャンルの、3次元の仮想空間の中で敵と銃で撃ち合うゲーム(エーペックスレジェンズやフォートナイトなど)を例に考えてみましょう。

FPSゲームでは自分が何らかの銃を持ち、敵も何らかの銃を持っています。敵の銃弾を体に受けると死んでしまうので、とにかく弾に当たらない様にしなければいけませんね。
そのために良く使われる方法が、遮蔽物の影に隠れるという方法です。
例えば今回は大きな岩の影に隠れるとしましょう。すると敵の銃弾は岩に当たって自分の体には当たらなくなります(岩は弾が貫通しないので)。
さて、ではこの“岩”という物質は実在するのでしょうか?

ゲームの中でいくら岩を拡大していっても、岩の本質は見つかりません。岩はVRAM内に読み込まれているマップに含まれるデータの一つに過ぎません。つまりこれは単なる情報ですから、実在しているとは言えないでしょう。

では岩は無いのでしょうか? 或いは岩に見える物、我々に岩として認識される物には何の意味も無いのでしょうか?
そんなことはありませんね? だって岩はちゃんとゲームの中で“弾を防ぐ”という機能(役割)を果たしてくれますから。
そしてVR仮説を受け入れて我々の実世界もVRだとするなら、物質の特性はこの例と全く同様なのですよ。

これが“実在はしないが機能はある”という言葉の意味です。

そもそもゲームの中の世界に有る物は全てが情報であり、バーチャルな存在なので実在していないことは誰もが納得するはずです。
しかしながら“機能”はあるのですよ。よってゲーム内に存在する意味もあるのです。
つまり乱暴に言えば、物質が実在しているかどうかはあまり重要ではないのです。むしろ重要なのはその機能の方でしょう。

更に ”メタ”という概念を考える に布石として書いたことをここで引用してみましょう。

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仮にFPSゲームの中であるプレイヤーが「あの黒い塊は鉄だ」と言い、あなたは、「いや、あの黒い塊は鉄ではなくて岩だ」と言って口論になったとしましょう。
そこで誰かがこう言うとしましょう。
「いいえ、あの黒い塊は液晶ディスプレイのドットだ」と。
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この発言は、我々の実世界に於いて「あの黒い塊は超弦だ」と言っていることに相当します。

VR解釈で“空”を説明する に詳しく書かれていますがVR仮説以前の世界では、例えば仏教では物質のことを”空”という概念で説明したり、また物理学では物質のことを超弦理論で説明してきました。

そして物質が何なのかをVR仮説の技術的な言葉を使って言うならば、マスタープログラムの中の関数です。
プログラムに於いて関数とは、機能を与える部分のコードのことです。そして当然ながら、関数も情報の1つです。
(最近のプログラミング言語では関数のことをメソッドと言うのかな? テクニカルな話はまた改めて詳しく書きますが、実際には”関数”よりもC++言語で言うところの”クラス”であるとした方がより的確です)


最後に上記をまとめると、量子力学的に考えると物質は観測者がいなければ状態が決まれず、超弦理論的に考えると物質は(振動の)情報に過ぎず、VR仮説的に考えると物質は観測するまでは未計算であり、その実態はマスタープログラムの中の関数です。

よって量子力学的に考えても、超弦理論的に考えても、そしてVR仮説で考えても「唯物論的な意味での物質は存在しない」と答えるのが適切でしょう。


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