量子力学と強い人間原理


地球から16万光年離れた場所にある、大マゼラン雲の中にSN1987Aという星があります。
これは1987年に超新星爆発が観測された星であり、肉眼で観測される超新星爆発は383年ぶりだとかで当時は大きな話題になりました。

特に日本では、後に私が大学で研究をすることになるカミオカンデの巨大水槽にて、この超新星爆発によって発生した大量のニュートリノが観測されたことが話題になりました。
因みに1987年当時の私は水泳部に所属する高校生で毎日泳ぐことしかしていませんでしたが、私がプールで泳いでいた丁度その時にカミオカンデの巨大プールにはニュートリノが降り注いでいたことになります。

さて、今までに何度も言ってきたとおり、量子力学によればあらゆるものは人間が観測するまでは何も決まっていません。
ならばこの、SN1987Aが超新星爆発を起こすことも人間が観測するまでは決まっていなかったことになるでしょう。ところが距離が16万光年離れているということは、この星が爆発したのは16万年前になりますね。
ですが人間が観測したのは1987年です。あれ?これって矛盾していませんか??

量子力学が正しければ、SN1987A の爆発は1987年にはじめて人間に観測されるのに、実際に爆発したのは16万年も昔です。
ということは、観測されて爆発が決定するよりも16万年も昔に爆発しているではありませんか。
因みに16万年前の地球といえば、偶然にも丁度ホモ・サピエンスが出現してミトコンドリア・イヴ が生きていたとされる時代です。
SN1987Aが実際に超新星爆発を起こしたのは大昔のそんな時代なわけです。
ではこの星が爆発したことは本当はいつ決まったのでしょうか? そんな疑問を持つ人が恐らく居るはずです。

この疑問に対する、量子力学を使った私の説明は以下の通りになります。

16万年前に爆発したことが、1987年に決まった。

あくまで超新星爆発することが決まったのは1987年であり、そしてその現象は“16万年前に起きた様に”観測されると。
つまり、超新星爆発が起きたことが過去に遡って決まったわけです。
もっと言えば、人間が観測しなければ16万年前の超新星爆発は起きていないことになります。

何だかキツネにつままれたような気分になりましたか? ですがこれが量子力学の説明なのです。
実際に量子力学では観測という行為が、過去をも決定するとされています。(ホイーラーの遅延選択実験や量子消しゴムなどが有名)

そしてこの考え方を応用していくと、人間が過去を観測することで過去をも決めていくことになるでしょう。例えば恐竜の化石を発見(観測)した時に過去に恐竜がいたことが決定したことにもなりますね。
もっと大きなスケールの話ならば、宇宙は約138億年前にビッグバンによって始まったとされていますが、その痕跡である背景放射にしても、或いは100億年前に発した星の光にしても、人間が観測したから過去に遡ってその現象が起きたことが決まったことになりますね。

つまり現在の人間の“観測”という行為が、過去に遡って全ての宇宙に起きた出来事を決定したわけで、この宇宙を宇宙たらしめているのは観測した人間の意志である。
もっと言うならば、この宇宙をこの様な姿に作ったのは他ならぬ人間であると……。

この様な考え方を、”強い人間原理”と言ったりします。まあ”強い人間原理”については人によって解釈が異なるようですが、大学に入った当時の私の理解はこうでした。因みに当時、人間原理は物理学者の中でも賛否が分かれる考え方でした。
否定派の物理学者の意見は「こんなものは物理学ではない」的なものだったと思います。

ですが私は人間原理からは量子力学と同様に強いインスピレーションを得ており、これは思考のルートの中で避けては通れないものでした。そして実際に人間原理はいくつかの禅問答の様な問いに答えることが出来ると思いました。
(一時期は、人間原理を完璧に理解したものが真理なのかと考えたこともありました)

ただしこの考え方は突き詰めるとこの宇宙を作ったのは人間であり、“実は人間こそが神だ”的な考え方に聞こえます。
それが私にはどうにも納得できませんでした。
なぜかって?
だって自分が宇宙を作っている自覚なんて無いからです。

それどころか、宇宙の仕組みにしても自分自身の仕組みにしても分からないことだらけの人間が、それらを作ることなど出来るだろうか?と思いました。
これは至極まっとうな考え方だと思います。

しかしながら同時にこうも思いました。「強い人間原理は、人間が観測するまでは宇宙さえ存在していないことを示唆しているのではないか?」と。
そして「もし人間が存在しなければ宇宙は存在しているのか?」
もっと言うと「今、我々が見ている宇宙は本当に存在しているのか? 存在しているように見えているだけではないか?」と。

そして最終的に至った結論として、全てのものは

“人間という溶媒を通して存在している”

のではないかと。

時は1995年頃の話。私にとっては、ここが明らかに一度目の真理へのブレークスルーポイントになった気がします。
また同時に、ここが私の頭がショートしたポイントでもありますが(笑)。

さて、皆さんなら上記の物理学をどう解釈しますか?


当時の私は、この量子力学の理屈を使うと”究極の問い”である「なぜ宇宙が存在するのか?」に対する答えが、「人間が観測するから」になると考えました。更に”強い人間原理”を使うならその答えは、観測する”人間が存在するから”でしょうか。
でもそうなると”究極の問い”が、「なぜ宇宙が存在するのか?」から「なぜ人間が存在するのか?」に置き換わるだけです。

今の私は”強い人間原理”の考え方は、一部真理を含むもののロジックが不完全過ぎると思っています。ぶっちゃけ、難しい問いに無理やり答えよう感が強い(笑)。
当時は人間原理について相当深く考えましたが、結局、自分の問いに答えた事にはならないと結論づけました。

物質が心を作っているのか、心が物質を作っているのか などに書いてきたとおり、人間の観測という行為には確かに物理的現象を決める力があるようです。
但しそれはあくまで回っているルーレットを止める力があるだけであって、その中身(結果)までは決められません。これについては超新星爆発の様な過去の出来事に対しても同様です。
よって過去を任意に作ることは人間には不可能でしょう。残念ながら人間が神になることはなさそうです。

しかしながらです、この宇宙には1つだけ絶対的な法則が存在していると私は考えています。
それは、この宇宙には

“論理的な矛盾が存在しない”

というルールです。まあ、この宇宙が数学で出来ている 以上は無矛盾であるのは当たり前なんですけどね。

よってルーレットが止まった結果も支離滅裂になることはなく、内容は“必ず無矛盾になる”というルールに従うはずです。
例えば人間が宇宙を観測すると、”ビッグバンが10年前に起きた”というような観測結果には絶対になりません。
もっと身近な例ならば、自分が生まれなかった過去も、自分を生んだ母が生まれなかった過去も観測することは出来ません。
これだと人類の存在や自分の存在をはじめ、色んなことに矛盾が生じてしまいますからね。
ルーレットを止めた結果は、必ず無矛盾になる事象の中から決まるのです。

よって私の言葉で“強い人間原理”を量子力学に基づいて説明するならば、オリジナルを少し修正して

「人間が宇宙を観測することで過去を自由に決めて宇宙を作ることは出来ないが、観測という行為は、人間が存在する現在の宇宙になるために無矛盾となる様に過去の事象を決定する(作る)」

です。

今回の話は少し(かなり?)難しいと思います。
ですが理解できれば、私の考える真理の五合目まで来たと思って良いですよ。


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