導ける内容の概要


では前回の続きとして、もう少し思索を進めてみましょう。

以下の内容はまだ仮説と言うよりも閃きやアイディアの段階ですが、メタフェイスに少しでも興味を持っていただくために、敢えて先に書く事にします。詳しい解説については後に改めて書く予定です。
文章が冗長にならないように断定口調で書いていますが、全てはまだ仮説なので宜しくです。


3,もしVR仮説が正しくこの宇宙に作者が居るならば、彼は数学に通じたプログラマーでしょう。


4,
殆どの宗教において神とは、“天地と人間”を創造をした存在のことを指すので、即ちこのプログラマーを指している事になるでしょう。つまりどの宗教の神であっても、実は同じ者を指している事になります。


5,VR仮説が正しければ、この宇宙が誕生した日は見方によってはコンピューター上で“この宇宙のプログラムが走り出した日”とも言えるので、科学によって導かれる日よりもずっと最近、例えば200年前である可能性も許容します。
そうなると科学的な進化論と、神が直接(例えばアダムとイブから)人類を作ったという宗教の説の双方とも正しい事になります。これらは見ているレイヤーが異なるだけです。

VRの中では20万年前に類人猿から進化して人類が誕生したことになるし、VRの外(メタ世界)視点ではプログラムが走り出した200年前が人類を含めた宇宙が誕生した時期だとすることもまた正しいのです。当然、VRの世界では20万年前から人類は存在していたように見える(観測される)だけで実在はしていないし、彼らには心も宿っていません(つまり人間ではない)。
分りやすく言えば人類の祖先はプレイヤーのいないキャラなのです。

つまり科学と宗教は対立したり相反するものではなく、メタレベルに立って見れば、見ている“レイヤー”が異なるだけです。
そしてこのレイヤーを私の言葉で言うならば”ルート”です。
そして“空”が“有”と“無”の上位概念であるように、メタフェイスは、科学と宗教の双方の上位互換となる上位概念なのです。


6,人生はどうしてこうも辛いのか?
おそらくこの世界がゲームだからです。またプレステ用のゲーム、”バイオハザード”の話で例えますが、もしゲームを開始しても一匹のゾンビも出てこず、謎解きも何も無く一直線にゴールまで行けるゲームだったら楽しいですか??(笑)
ゲームの始めというのは何も持たず仲間もおらず絶望的な状況、つまり”辛い状況”から始まるのが普通です。
そこで様々な恐怖や試練と闘いながらスキルアップし、仲間を増やし、ハラハラドキドキを楽しみながらゴールを、つまりゲームクリアを目指す事を楽しむのがゲームです。ホラー映画や絶叫マシンも怖いから面白いのと同様です。


7,もしこの世界がVRによるゲームだとしたら、マニュアルは無くともルールとゴールは有るはずです。ただし、残念ながらそれらは文字では書かれていないので、自分で見つける必要があります。
個々の目的は分からなくとも、ゲーム自体の目的は論理的に導く事が出来ます。また個々の目的も見つけるヒントも実はあちこちに存在しています。


8,コンピューターを使用したゲームだけでなく、将棋にしてもトランプにしてもゲームには必ずゲームを成り立たせるためのルールが存在します。
そして”この世界”というゲームの唯一のルールは”論理的に無矛盾である事”です。


9,人類全体の目的を見つけるためのヒントは我々の本能の中にあり、個々の目的を見つけるためのヒントは才能と環境が主でしょう。


10,ゲームだとしたらRPGの様に全てのプレイヤーにはそれぞれの役があるはずです。しかしながら自分が何の役なのかは知らされないので、自分で見つけるしかありません。間違った役を演じると人の役には立てないので、恐らく生涯を通じて幸福にはなれない事でしょう。魔法使い役の人が勇者を演じて剣で戦ってもすぐに死ぬだけです(笑)。

好きなことを仕事にするべきか、得意なことを仕事にするべきか に書いたように、職業は得意な事にするべきという私のポリシーは、主にこれを理由としています。
また孔子が言った“道”とは、ゲームで言うところのこの”役”の事だと私は思っています。自分の役を正しく知ることが出来れば、ほぼ幸福な人生が確定することでしょう。この様にメタフェイスは儒教の一部も包摂します。


11,演劇に無駄な役が無いように、そのセリフに無意味な物が無いように、全ての役には意味があります。


12,あなたの人生の登場人物は全てその役を演じてくれている人たちです。たとえあなたを虐める人や敵となる人であったとしても、彼らはバイオハザードでいうゾンビのような存在です。
あなたの人生を退屈なものにせず、豊かにして楽しませてくれる、いわば“愛でるべきゾンビ”なのです。
(よく見るとゾンビって意外と可愛いですよ(笑))

よってその場では憎んだとしても、メタレベルでは「楽しませてくれてありがとう」という心を持つべきでしょう。
因みにキリストはこのことを“汝の敵を愛せよ”と表現したようです。


13,人類全体の目的、つまりゲーム自体のゴールが何なのかのヒントは、我々の本能の中に隠されています。
全ての人間の行動には目的があり、そしてその行動原理は今より幸福度が高い状態を目指しての事でした。
そして真の幸福を得るためには自分ではなく人のために行動する事。これが人間の本能、つまり脳の仕様でした。

幸福のメカニズムは再帰的な構造になっているため一瞬戸惑いますが、実は簡単です。すなわち論理的に考えて、全ての人の行動理由が無くなった場所がゴールです。
つまり、“全ての人が最高に幸福になった状態”がこの世界のゴールであり、ゲームプレイヤーの目的であり、ここがゲームクリアの場所です。

よって不幸な人を生む行動は実は自分をも不幸にし、人類をゴールから遠ざけている事になります。その最たる例が戦争です。
全ての人が自分の無知を知りこの結論を知れば、行動が変わるはずです。でも安心して下さい。人間はそれを本能的に知っています。
実際に人類の歴史を見れば、確実に全人類の平均的な幸福度が上がる方向に世界は進んでいます。あと少しです。

一つ余談ですが、自分以外の誰かの幸福のために行動する時の心情を、先人達は“愛”と呼びました。
それが愛の本来の意味です。依存や束縛は相手ではなく自分のための行動だし、言うまでもなく自分をも不幸にします。


14,頂上から見ると全てのメジャーな宗教はちゃんと真理へ向かって歩んでいます。ルートは異なっていても皆が同じゴールを目指す同志である事に気づけば、相手を尊重し、争う必要など無い事を知るはずです。


15,この世界がゲームならば、ルールとしておそらく幸福へのチートは出来ません。よってテクノロジーが進んだ満腹パイの時代になっても、ドラッグや麻薬の様な直接脳に幸福物質を出す物には必ず副作用が存在するでしょう。でなければ、そこがゴールになってしまいかねないので……。また、次から次へ新たに人類が解決しなければならない問題が発生するかもしれません。


16,我々の価値観では、ゲームを作ってプレイする目的は退屈から解放されるためでしょう。


17,この世界がゲームならば、人類が原理的に解決できない困難は発生しないはずです。よって例えば小惑星が地球に衝突しに来るのはそれを避けられる技術が出来てからでしょう。宇宙人も今は攻めてきません。


etc……。

とまあ、こんな感じです。
さて、少しはVR仮説に興味が出ましたか??
他にも導ける事は膨大にあるのですが、取り敢えず今回はこの辺にしておきましょう。

長々と書きましたが、VR仮説から色んなことを導いた今の私が総じて多くの日本人に一言だけ言うとしたなら、
「もう少し肩の力を抜いて生きて欲しい」
ですかねっ。


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